普遍的個性を見出すもの
「子どもの頃楽しかったこと、夢中になっていたことは、本当にやりたい事だ。」というのは、まだ地上に着地する前の普遍的個性が、この世界で遊ぼうとしているからです。地上に馴染む前の、見えなくなってしまう前の本質的自己が、楽しい遊びを見出しています。
だからと言って、おままごとが大好きだったから、大人になってもおままごとをするかと言えばそうではないように、天上と地上を混ぜ合わせるように、子どもの頃好きだったことはエッセンス化され、大人になった私が本質的自己実現を果たしていきます。
私の場合なにが好きだったかと言えば、誰にも見つかることなく近所を歩き回ることで、塀を登って下りて、人の家の隙間を通って、フラフラと歩き続けていました。人が通る場所ではない細くて暗い道、隙間を見つけて通り抜けていくのが好きでした。で、今は何をしているかというと、まったく外に出ることはなく、エーテル体を歩きまわっています。誰にも見つかることなく自由に。エーテル体の道は裏道で正道です。
本質的自己の自己実現は、社会貢献することを目的としていません。社会貢献のため、生活のため、お金のため、という姿勢ではないところで、本質的自己は自己実現を果たします。生活のための活動とは別の活動を考えるときは、社会の中での自分という姿勢は捨てた方がいい。自由にやりたいことを見出そうとしても、気づけば誰かのためになること、社会に認められることをついつい考えているものです。