アキラは80才になっても自転車に乗った。そして、近所の公園に行って健康体操をした。
そんな母を、50代のカナタは心配しつつも、ニコニコと見守った。母は、わたしが生まれる前からずっと、自転車に乗るのが好きだった。
「そう、わたしは自転車に乗ってあの世に行くよ」とアキラは笑いながら言った。
そんなアキラだったが、90才に到達することは残念ながらできなかった。最後は少し認知症っぽくなったものの、画用紙に描いた色が長い年月を通して薄くなりカサカサになるような感じで、死んでいった。
カナタは夫を亡くし、60代はじめだったものの、母の死はそれほど悲しくはなかった。だって、母はいつもカナタとともにいた。10代の頃から、30才になっても、50才でも最近でも、いつもアキラはカナタとともにいた。
だから、死んだと医者から言われても、カナタにとってアキラは死んでいなかった。
通夜を終えてお葬式も終了し、しばらくたってアキラの骨をお墓に納骨した時、カナタは墓の奥に置いた骨壷のまわりに変な空気が漂っているのを感じた。
右手で骨壷を墓の底にカナタは置いた。その時、右手のまわりが冷たくなり、その右手に言葉がからみついてきたような気がした。
「やあ、おかえり」
だったか、
「やあ、ここは安全だよ」
だったか明確には表現できないが、骨壷のまわりで魂たちが語りかけていた。その語りかけは温度としては極寒なのだが、カナタの魂をずいぶん暖かくしてくれた。
そうか、
とカナタは思った。居場所は、こんなところにあったんだ。
難しい本の中でもなく、南アルプスの奥地でもなく、太平洋の深海でもなく、月の側でもなく、冥王星の近くでもなく、成層圏でもなく。
人は死にきれず、じめじめして暗くて、でも時々石の蓋をとって新しい住人を置いてくれる、このお墓の下で安住できている。点は大人になって線になるけど、やがてまた点に戻り、暗闇の中でその点は土に戻る。そしてその土は、無数の点の集合体だ。
地下にある骨のお部屋は、わたしを救ってくれるな。60代のカナタは、本当に楽な気持ちになった、ありがとう、ママ。