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14才の頃は、友だちのことを疑ってばかりだった。その疑いは結局、いつも自分に返送されてきて、気づけばアキラは壁のような場所でいつも上を見上げていた。
壁沿いのその場所から見上げる空は青かったが、なんだかすごく遠かった。しゃがむのもいやだし、泣くのも嫌だし、誰かに話すのもいやだったので、やっぱりその心の場所から出てきて自転車に乗った。
けれども14才の時はヘルメットをかぶらないと、ごちゃごちゃ文句を言われた。そうだった、だから私は、といまアキラは思う。
だから、結局は走ったんだった。
アキラはいま、夜中に赤ちゃんにおっぱいを飲ませていた。それはどうにもハードな仕事だったが、いつもそんなに眠くないし、現実の仕事よりは楽だった。そうしておっぱいを赤ちゃんに飲ませながら、いつも昔のことが蘇ってきて、赤ちゃんに微笑んでいるのか一人笑いなのか、自分でもわからなかった。
19才の時も友人を疑ってばかりだった。
でもその疑いはその5年前の14才の時とはちょっと質が異なっていた。なかなかその疑いは自分に返却されなかった。いつまでも相手のことを考えていた。その相手は友だちや恋人だったが、その人々のことはいつも徐々にうすれていき、かといって14才の頃のように壁の側で立つわけでもなく、ずっとベッドの中でごろごろし続けていた。
それがちっとも辛くなくて、右にゴロゴロ、左にゴロゴロしていた。そうやって寝返りばかりしていると背中が痛くなってきて、やっぱり自転車に乗りたくなった。もう中学生ではないのでヘルメットは必要ないから、夜中に服を着て近所中を走り回ることもよくあった。
歌うのも癪だったし、電話なんてできるわけないし、だからアキラはいつも自分の「息」を数えた。
ペダルを漕ぎながら、1回、2回、と、息を吸って吐くたびごとに数えていった。いつもだいたい500回くらいまでいくと飽きた。その頃にはなんだかおかしくなってきて、公園に自転車を停め、近くの川まで走っていった。
川に着いてその川面を見、対岸で打ち上げられるミニ花火を見つめながら、アキラは14才の頃を思い出す。そういえば、あんな花火をホワイトボードに描いたなあ。
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赤ちゃんは再び眠り、その向こうにいる夫もようやく鼾がおさまって静かに眠っていた。
そういえば、ホワイトボード用の水性のマジックペンは何種類もあり、友だちはたくさんの色を使ってアニメのキャラクターを描いていた。
アキラはそのキャラクターとホワイトボードの白を見つめているうちに、もう決して小学生には戻れないんだと何度も思っていた。
そしてホワイトボードはいつもの壁になっていき、沈黙するアキラはその壁の側でたたずんだ。白いホワイトボードは柔らかいシリコンのようなものになり、14才のアキラをぐるぐる巻きにするように思えた。
そのあたりでいつも昼からの授業が始まったり、帰宅時間のベルが鳴った。午後の授業は眠くなるどころかさらに殺伐とした気分になった。放課後、自転車で家に帰る時は、このまま別のところまで走って行きたかったが、自分の呼吸を数えることの有効さに気づき、その数をかぞえ続けることのエンドレスさの有効性に気づいたのだった。
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赤ちゃんの表情は暗闇なのできちんと見えない。夫は別人のように静かだ。そうした夜の時間に浸っている時、アキラはこの頃、自分のことをあまり考えなくなってきたな、と思う。
大学の頃は、自分から離れたようで離れておらず、いつも誰かの側にいた。その人達から自分を評価してほしかった。多くから褒めてもらえたものの、そんな肯定の言葉が嘘くさかった。
そうした嘘に見える言葉の隙間に、その人達がもつ無難さが見えて、アキラはいつも自転車に乗りたくなっていた。
自転車は決して裏切らなかった。平凡な裂け目とは別離することができた。だがそうした裂け目たちとアキラの平凡さもどこかでつながっており、そのつながりの線を切断しようとしてペダルを漕ぐのだが、ずっと線は自分とつながったままだった。
たちが悪いことに、その線は深く水脈につながっており、その水脈の煌めきが見えるごとに、19才のアキラは落胆した。求めても、その水脈に私は結局つながっている。私はようやくここに来ることができた。けれども、と彼女は思う。
ここは、人々という地獄ではないのか。
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人々という名の地獄。
そのワンフレーズは今も鮮やかに覚えている。
カーテンの下のほうを見ると、暗い夜が明るくなり始めており、そろそろ今日が始まろうとしている。目を瞑りあと30分意識を落として寝て、今日は早めに起きよう。そして、夫のお弁当をつくろう。
14才のアキラは、ホワイトボードに描くことはできなかった。19才のアキラだったらどうしただろう?
私は、
と今のアキラは思う。白い静寂が訪れるその時間は好きだった。自分のホワイトボードを人々が見つめ、いろんなことを言う。
けれどもそんな語り合いに融合などない。
ホワイトボードの絵は、コーヒーの香りに劣り、ココアの甘さにも劣る。白い板の絵を通した自分の表象のしあいっこよりも、鼻腔への刺激や舌の上の甘さのほうが心地よい。
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私は、
とアキラは思う。絶対私はその水脈に近づきたくはない。
夫が起きてきて、「おはよう」と言う。アキラもきちんと返す。
詩が、毎日離れていく、
と思ってアキラは笑った。弁当は冷凍食品中心だが、夫は感謝していた。赤ちゃんはリビングでもぞもぞしている。この娘も、やがて14才になるんだろうな。その頃私は42才か。
そんな年齢の計算をアキラは毎日していた。この娘はホワイトボードに、娘自身の言葉と絵を描くことができるんだろうか。