私が中学生になった時、崖の上のあの灯台へ昇るエスカレーターが完成した。
 けれどもそのエスカレーターは有料で、私は誰かを誘う気にはなれなかった。
 灯台へ行くか考え込んでいるうちに、パパは肝臓を壊して死んでしまった。
 私は自分が想像した以上に、パパのお葬式で泣いてしまったんだ。ママは、Vサインするパパの写真を選んでいた。私も泣きながらVサインしたよ。

 エスカレーターに乗ってあの灯台に行ったのは、パパが死んで2年後だった。なぜだか怖いくらいの重力が私たちに襲いかかり、恐ろしい速度でエスカレーターは上がっていった。ママは「私たち、このまま死ぬんじゃない?」と漏らした。私もそう思った。
 そのエスカレーターは2回乗り換える。その仕組みは私にはよくわからないんだけど、どうやら休憩しなければあの灯台には辿り着けないらしい。
 ツェッペリン号みたいな休憩所にエスカレーターは到着し、私たち乗客は降りる必要があった。私もママも降りて、ツェッペリン号のバルコニーから下を見下ろした。
 すると、
「やあ、いらっしゃい」と死んだパパが話しかけてきた。
「予想通りだ」とママは嬉しそうに言った。
 パパの姿は見えないんだけど、その声は空気の間から聞こえてくるような感じだった。パパとママの声は灯台下の風に流されている。

「パパはここで何をしているの?」私は思い浮かんだ問いをそのまま漏らした。
「君たちを観察しているんだよ」とパパ。「なんか、自分が近々空気に溶け込む気もするので、死んだ以降も最も記憶に印象深い君たちを追ってしまうんだよ。君たちも死んだらそうなるよ」
「ママは死んだあと、パパといっしょに私を観察するとして」と私は答えた。「私が死んだら誰を見るの?」
「そりゃあ、お前の好きな人だろうよ」とパパ。
「私、好きな人って無理だよ」いつの間にか私の目に涙が浮かんでいた。さっきまで私の隣にいたママは不在で、灯台にエスカレーターの乗り換え場所であるツェッペリン号のバルコニーで私は1人取り残されていた。
「相変わらず泣き虫だなあ、カホは」ゴーストのパパは笑った。

 私は、海王星の文字から中途半端に抜き出されたカホという名前だった。来年大学生になる予定だというのに勉強は捗らず、学校の帰りに本屋ばかり通っていた。
 どうしてもクラスのみんなとうち溶けることができず、私は大島弓子のマンガやサリンジャーの短編を毎日読み返していた。時間があれば、それらの作家の、レアな単行本を大書店で探すことが日課だった。(つづく)

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