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ホムンクルスを読んで
#ホムンクルス を読んで 〜深淵もまたこちらをのぞくのなら本望〜
漫画のホムンクルスを読んだ
映画から先に観てその後に原作に手をつけると、その逆よりも両方ともポジティブに感じやすいという持論がある。(異論は認める
個人的な楽しみ方として、この順序で今回も大成功した。
映画の脚本は洗練されていてある程度万人ウケするカタチになっていたのだが、
元々のホムンクルスという作品の哲学自体が深かったので、削り出した映画ですら、おもめになっていたのではないか。
ここから漫画の感想
漫画はもっと深く潜るような話になっており
認知の話が肝心
自我の再発見の経緯と
メタ認知が働かない自分自身(主人公)の末路を漫画で表現してあった。
自分と同じような視覚で、
自分を相手からみてもらうこと
それを相手に強いることが、
トレパネーションという行為で例えてある
俺も、ひとに自分と同じ視点でみてほしいと望んでおり、良い啓示を受けたと感じる。
他人をみているのは自分であり、自分の認知次第でどうみえるか決まる。
結局、相手の立場にたってものを考えたとしても”自分なりに”相手の立場を想像するので完全には相手の立場にたつことなどできない。
話し合ったとしても、心を全て言語化することなどできず、わかり合えない
だけど、想像だけでは余りにも頼りないので
聞いてみることはつづけたい
伊集院光が100分で名著で言っていたセリフを思い出した。
「わからないから、というと分断をうむ
わかった、というと偏見をうむ
わかりあうとは常に問い続けるということ」
自我とは、認知とは、願望とは
みてほしいは哺乳類特有の感覚なのかもしれない。
そもそもは乳をもらう為だったり、群れから気にかけてもらう為だったのだろう、それを拡大させていきSNSをうんだ。
この漫画に出会い、常に周りを見続けていきたいと感じた
たまに調子を悪くした時は誰かにみてもらい、元気な間中、みんなを見守り続けてみせようじゃないか
人も、植物も、動物も、気象現象も、エンタメも、み続けてやる
この”みる”って、ひとつの愛と呼べるんじゃないか
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