犬が死んだ
犬が死んだ
心に癒着していた存在を
無理矢理はがされた
止血だけはしないといけないとおもうが
そこを見るたび血が噴き出る
もう、噴き出るだけ噴き出ろと開き直る
昔の犬のことですら、
皮膚の下に残ったガラスの破片のように、触るとズキズキするのに
大人になれたなと感じる
心の中は”悲しい”という風が
有無を言わさず吹き荒れているのに
顔はいつも通り、身体もいつも通り
油断すると思い出すけど、
油断しなければおもいださない。
普通でいることに、不満をもつ自分もいるけど
悲しむだけが弔いではないと、
もうわかっている
犬、猫、その他ペットにする動物、植物
全てが元々ここには有り得ない存在で、人間が勝手に連れてきてる
有り難い
やはり生き物を資本主義的にやりとりするのは、間違いだとおもう。
極端な言葉をあえて使うと
大量生産と大量消費
ペット産業にこれを当てはめるのが良い側面ってない
競争の原理で
安く良い血統の動物が手に入るとか
安易な飼育を誘発するだけだろ
動物園的な意味で、
血統を残すこと、増やすこと
必要だとおもう
公共の利益のためなんだから、ある程度のブリーダーの登録なり免許なりあるほうが良いんじゃないか
ビジネスで生き物を取り扱うのって難しいのでは
あ、でも昆虫とか植物とか魚類とか未発見のものとか個人で探して売ったりとかって新しい発見に寄与している部分大きいよね
哺乳類のブリードは資格制にする?
実験動物の問題もあるかな
難しい。
難しいけれど、
以前野良猫が下半身だけ車に轢かれてて、動物病院に連れて行ったら安楽死を勧められて心折れたし
1万円で犬が売られてることとか、明らかに遺伝的な欠陥をもってる子を目の当たりにした
今は問題意識しかない
すごくとり散らかったけど
そのまま残しとこうとおもいます。
2021年8月26日