台湾ひとり研究室:留学編「短期留学記5:挫折からの継続。」
「どんなことでも10年続けてみぃ。その道のプロになれるけん」
高校時代の恩師が言った一言だ。2011年、中国語を学習することを決意したとき、(最大の課題は継続できるかどうかだ)と思った。実を言うと、初めて中国語と接したのは日本語教育を専攻していた大学4年生にさかのぼる。地元のボランティア団体で中国・北京から来日したばかりの姉と弟に日本語を教えることになった。英語も通じず媒介語がない。でも彼らとなんとかして話したい。そう思ったわたしはNHKのラジオ講座で中国語を勉強することにした。ラジオで勉強した中国語を使って、本当に片言で話していた時、弟に「発音がきれいだ」とホメられた。そのひと言が中国語学習を続けたいと思う原点となった。ただ、『新日本語の基礎』(スリーエーネットワーク)片手に年少者教育…振り返ると冷や汗が出るのだけれど。
それからというもの、出張などで何度か大陸に行く機会があり、そのたびに入門書を買っては勉強の継続を試みたものの、どの参考書も「発音が重要だ!」ということの強調から始まり、文法の枠組みが示されていた。モノの見事に、わたしはすぐに本を開けなくなった。その、入門書を買っては学習が止まるというプロセスを繰り返した。なぜいつも続かないのか、理由がわからないままでいた(恋愛みたいだ)。
そんな話を友達にしたら「じゃ、ドラマ観てみたら?」と薦められ、BSで放送されているドラマを観始めた。しばらくすると、たとえば1話をこんなふうに観るようになった。
1回目 中文字幕で観る。大意把握。
2回目 日文字幕で観る。1回目でわからなかった内容を理解する。
3回目 もう一度中文字幕で観る。確認。
ドラマを観ている間は、内容に大きく関わらないこと以外は、多少わからないことがあってもそのまま放置した。観ていたのはラブコメばかりだったから、人間関係、場面、状況、文脈、表情、そして字幕と、あらゆるものが理解を助けてくれたし、いちいち気にしてたら来週のお話に間に合わないという物理的な制約もあった。
最初は(あ、名前なんだな)とか(謝ってるんだな)程度しかわからなかったのが、ドラマを大量に観続けていくうちに、単語→定型の文句(スッキリ系)→頻出文型(如果~的話/就/越來越~/想/要/會/可能/可以…)と聞き取れるようになった。なんといっても有り難かったのは、漢字が表意文字だってことだ。
何度も何度も繰り返し出てくる漢字が文型だなあと思ったころに手元の参考書を開いて、あ、これは条件節なのか、とか、この字は強調構文だったのか、といったふうに、あと追いで確認していった。また、インプットばかりでアウトプットする場がないことに気づき、中国版のツイッターを始めた。気に入ったセリフや本当にどーでもいい感想を短い文で書く。
こうして大量のインプットを先行させ、あとから文型も語彙も理解していった、という次第。そんなふうにしていたら、週末ごとに行っていた山からも遠のき、毎日、何らかの形で中国語を聞き続け、気づけば1年以上が経っていた。
そんなこんなで語学学校に通ったのは今回が初めてだ。教科書があって、先生がいて、授業を受ける。そこで初歩から中国語の言語体系を整理してもらう。それはまあ、伝統的な語学教育の典型例だろう。ま、先生によっては、ドラマや映画に詳しい人もいて、それを中国語で話し合うのは楽しかった。
ただ、最初から当時の滞在中、学校だけで学習を終わらせないつもりでもいた。いや、はっきり言ってしまえば、学校よりも楽しみにしていたのは、友達と映画、そしてホームステイだった。友達の台湾話を苦労も含めて聞くのはおもしろかったし、日本で観ていたドラマのスピンオフで制作された映画はやっぱり楽しめたし、ホームステイでしかできないさまざまな体験をさせてもらった。中国語を学ぶ場が、至る所にあった。
さて問題はその後だ。この時は、すでに台湾に留学している友達たちと「宿題」を送りあうことになった。その週に学んだことをまとめてお互いにレポートしあう。現地で学べることとは雲泥の差だろうけれど、友達の助けを借りながら継続していく。先生の言っていた10年にはまだ遠いけど、とにかく続けていきたかったんだ。
勝手口から見た台湾の姿を、さまざまにお届けすべく活動しています。2023〜24年にかけては日本で刊行予定の翻訳作業が中心ですが、24年には同書の関連イベントを開催したいと考えています。応援団、サポーターとしてご協力いただけたらうれしいです。2023.8.15