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台湾ひとり研究室:映像編「中国歴史ドラマ『宮廷の諍い女』を中国語で観るときに押さえたい用語ー冷宮」

2011年に中国で放送され、日本でも好評を博している中国ドラマ『宮廷の諍い女』(原題:後宮 甄嬛傳/公式サイト)。描かれるのは、中国版大奥で繰り広げられる、女たちの壮絶な権力争いだ。愛憎、妬嫉、裏切り、失意などが凄まじい迫力で描かれる。《後宮 甄嬛傳》の名場面を何度も観ているうちに、気になる単語が出てきたので調べた。「龍」「後宮」「本宮」「自宮」に続き、冷宮を取り上げる。 

冷宮はどこにある?

ドラマで肝を冷やしたのは、「打入冷宮」(冷宮送り)の瞬間である。物語の中では複数の貴妃たちが冷宮へと送られた。

最初に大きな騒ぎになったのは余答應の起こした事件だ。甄嬛に毒を盛ろうとしたことが発覚し、冷宮に送られる。ただ、宮廷に参内した貴妃たちでさえ、実際のところは送られた先がどんな場所なのか、よくわからなかったようだ。劇中の第 10 話で安陵容とその侍女、宝鵑がこんな会話を交わす。

安陵容:寶鵑,冷宮到底是什麼地方?
寶鵑 :那是關押被廢黜嬪妃的地方。以前有很多被廢黜的嬪妃 貴人
    因為受不了被廢黜後的日子 或死或瘋 大家都覺得這個地方陰氣太重 所以才叫冷宮。
安陵容:那平日裡沒人去過嗎?
寶鵑 :那是什麼鬼地方呀。
    以前住在附近的宮人 常看見有幽魂飄出來 連夜的哭可嚇人了。

訳)
安陵容:宝鵑、冷宮とはいかなる場所だったのだろう。
宝鵑 :位を失った嬪妃が留め置かれる場所です。その暮らしに耐えられず、
    死ぬ者や気のふれる者があったそうです。陰の気が強すぎて、冷宮と呼ばれるようになったとか。
安陵容:じゃ、普段は人が行かないのね?
宝鵑 :幽霊が出るんですよ。亡霊を見た者が一晩中泣いて、皆を震え上がらせたんだそうです。

紫禁城に参内した女性は終生、外出が許されない。出産の折でさえ、親のほうが紫禁城に来るほどだったことは、ドラマでも描かれている。いってみれば大きな冷宮みたいだともいえるけれど、当の冷宮は、乾清宮や長春宮とする説もあれば、留め置かれたその場所が冷宮という説もあるそう。明、清の史料には冷宮という記載がなく、建物名を書いた額もないため、正式な名称ではないと見られる。

参考)北京故宫未解之迷:冷宫在哪里?

なぜこんなことになるのか。まず「紫禁城の建物の総数は、宮殿、楼閣から門まで含めると 786 棟あった」(『宦官』中公新書)というのだから、その特定の難しさもさることながら、場所に困るような敷地ではないのもあるんだろうか。 

一つ、冷宮の場所を特定した記述を見つけた。日本人作家・浅田次郎の書いた小説『珍妃の井戸』(講談社文庫)の中だった。

いかがですか。おそろしい場所でございましょう? ここは紫禁城の北のはずれ、雲をつくような紅色の壁の向こうには、もう何もございませぬ。何も。目隠しの柏の大樹が、庭をぐるりとめぐっておりますのは、遠い昔からこの御殿が同じ目的に使われてきた証しだと思われます。50 年の間、いったい何人の妃がここに閉じこめられ、ご生涯をおえられましたことか。北三所の冷宮にお入りになるということはつまり、お亡くなりになったも同然なのでございます。(本書より引用)

2 年間、冷宮に幽閉されていた珍妃という妃が、義和団事件後に井戸に投げ込まれて亡くなった。その死因を突き止めるため、ソールスベリー提督ほか列強からやってきた 4 人が、関係者一人ひとりに話を聞いて回る。その過程で太監が 4 人を連れて冷宮を訪れた。上のセリフは、その太監が語った冷宮の説明だ。

実際、珍妃の井戸と呼ばれる場所は、現在の故宮の北側にあるという。冷宮はどこにあったのか。そのことを調べれば調べるほど、なんだか切なくなる語なのだった。

参考)著者インタビュー 浅田次郎

勝手口から見た台湾の姿を、さまざまにお届けすべく活動しています。2023〜24年にかけては日本で刊行予定の翻訳作業が中心ですが、24年には同書の関連イベントを開催したいと考えています。応援団、サポーターとしてご協力いただけたらうれしいです。2023.8.15