台湾ひとり研究室:映像編「中国ドラマ《繁花》が単なるノスタルジーではないわけ。」
「最近観ておもしろかったのは《繁花》かな」
ある会食の席上で大哥の友人が挙げたのは、2023年末から放送が始まり、大陸で大人気になったドラマのタイトルだった——といっても、それより前に知っていたわけではなく、あとで検索して理解したことなのだけれども。
台湾でも年明けごろからドラマ《繁花》の人気は伝えられていたようだ。タイトルから何本もの関連報道が出てくる。
早くもロケ地巡りがスタート
ある台湾の報道によれば、ドラマの舞台となった上海外灘や黄河路、南京路ではファンがすでにロケ地巡りしている姿が見られる。それだけではない。外灘の和平飯店、黄河路の苔聖園酒家で写真を撮ったり、ドラマとのコラボドリンクが話題になり、上海グルメである排骨年糕(おもちのスペアリブのせ)はデリバリーで頼む人が続出している、という。
中国ではもはや一大ブームといっていいほどのドラマの評判が、台湾にも聞こえてきているというのは、結構、久しぶりかもしれない。
撮影期間が3年に及んだという本作の舞台は、1970年代後半から1990年代の中国上海だ。1990年に営業を再開した上海の証券取引所を皮切りに、めまぐるしく移り変わる社会の様子と、そこで行われる株取引の凄まじさ、マネーに翻弄される人、渦巻く人間模様を描く。
上海生まれの作家・金宇澄による同名の33章からなる小説は、2012年に中国で刊行され、台湾では翌年に繁体字版、そして2022年に早川書房から日本語版が出された(日本語版リンク)。全編上海語で描かれた作品で、1960年代末、主人公の阿宝が10歳の頃から始まる。中国で刊行されたその年、小説ランキングで首位になり、華語文學傳媒大獎という文学賞の小説賞を受賞している。
映画的手法が光るドラマ
もともとは映画として制作がスタートした作品だったそうだ。それが30話に及ぶドラマになったわけだが、長尺でも飽きない。
全話通じて主演を務めたのは、日本では『琅琊榜』(全54話)で策士を好演した胡歌。近年の大ヒット作には必ず彼がいる。監督は、『欲望の翼』('90)『恋する惑星』('94)『ブエノスアイレス』('97)で知られる王家衛である。香港映画が爆発的にヒットした時代、間違いなく立役者のひとりだった。近年——といっても10年以上前だが——では『グランド・マスター』(原題:一代宗師)が大きな話題となったのがいちばん最近の記憶かもしれない。
王家衛監督作品が大きな話題を呼んでいた90年代、筆者も知人に薦められて3部作を一気見した。当時はよさがよくわからないままだったが、今回、ようやく王監督の映画美術の素晴らしさに気づかされた。
まずもって色味が違う。角度、構図が違う。シンプルに画が違うのだ。単純な画角がまるでない。複雑な時間軸はテロップで明示され、時折、当時のニュース映像が流れる。熱気というか活気というか、空気感まで映し出されている。
日本の銀座のクラブで阿宝と玲子が出会うシーンでは、小田和正にフランク永井も挿入歌に加えられていて、日本の役回りだけでなく、バブル期の東京がしっかり描きこまれていることにも驚いた。ちなみに90年代の音楽がしっかり織り込まれていて、観ている側の「あの頃」を思い起こさせる演出も効いている。
1本約2時間のはずだった作品が、45分×30話になった理由はよくわからない。時間を行ったり来たりするのでやや混乱するが、そこかしこにストーリーの起爆点が仕掛けられている。単純なラブストーリーに落とし込まず、人品の美醜、脆さ、弱さ、そして強さがある。人がどん底から立ち上がっていく様があるからか、観終わって元気になった。
ノスタルジーというよりも
ドラマを観ている間じゅう考えていたのは、ステレオタイプとリスペクトのことだ。
90年代終わりに一度、上海に行った。初中国は圧倒的な広さに気圧され、市内を大量の自転車が走り、道端で有名店の小籠包を頬張り、杭州行きの電車では香港人に間違えられた。当時の日本では、中国の映像というと天安門広場に紫禁城、あって上海テレビ塔で、街中は大量の自転車、という画が大半だった。実際に行ってみた上海の街並みは新旧ごちゃまぜで、車もずいぶん走っていて、大量の自転車がないことになぜかがっかりしている自分がいた。
本作で描かれる上海は、人の間に活気があり、丁寧に仕立てられた洋服を着、ハイヒールを履いてタクシーに乗る。ほとんど見てこなかった中国の姿に、自分のステレオタイプを壊されてホッとさえした。ドラマの中では外灘の老建築群に、何度も陽の当たるカットが出てくる。上海という街の代表的なスポットがカッコよく映し出されてて、また行きたくなった。
「ドラマには、上海語バージョンと、北京語バージョンがあるんだよ」
儂、我曉得了、有数了……台湾ではほとんど聞かれない大陸的な言い回しもまた善き哉。原作からして上海語、さらに香港の監督として知られる王監督も上海語を解するのだという。それもあって、撮影期間には上海語の講座が開かれ、出演者は上海語の練習をしたそうだ。そりゃ撮影に3年もかかるわけだ。
原作は読んでいないのだが、ドラマには街並み、言葉、料理……至る所に上海への思いがあふれていた。さらにいえば、人の危うさや醜さも盛り込まれて、人間が立っている感がある。単なるノスタルジーではないのは、そういう作品としての力があるからだろう。
中国広しといえども、大勢の人の心を打つ作品は、そう簡単に出てくるものではない。しっかりと出来事を描き、人の本質を描いているからこそ、心の琴線に触れる。90年代の香港ブームに触れたことのある世代にはおすすめしたいし、このところファンタジーに入り込もうとしていた中国ドラマの新たな境地として大いに楽しめる作品だ。ぜひとも日本で放送・配信されるよう願いたい。