台湾ひとり研究室:留学編「短期留学記6:収まらない!」
台湾の人たちが食べ物の味というか食感を表す表現として QQ がある。わたしの味覚では、ちょっと甘めでとろっとしたもの。たとえて言うなら、上新粉で作ったおだんごみたいなものから酢豚のあんかけみたいなものまでを含める感じ? なぜ QQ って言うのか、何が QQ なのかは、先生が説明してくれたけれど、この時は結局、よくわからないままだった。まあ、イメージはつかんでいただけるかな。
台湾の食べ物は、日本人にとっては全体的に甘みが強いと感じるようだ。授業で、南部出身の先生が言っていたのは「台北より台南とか高雄とかの味付けの方が甘いのよ。台北は塩気が強いの」ってことだった。(じゃ、先生が東京に来たら「薄い」とか「辛い」って思うかも)とは説明できないので、うなずきながら聞いていた。
2012年にわずか9日間の滞在で、話したいけれど話せなかった、と強く感じている話題がある。台湾と日本を比較対象しながら話す、というものだ。これが全然だめだった。
中国語の参考書には「 A 比 B 〜」という比較表現の構文が説明されていることが多い。日本語の教材だと「〜と〜とどちらが〜ですか」「〜のほうが〜」「〜より〜です」とかだろうけど、わたしが比較として使ったのはこんな表現だった。
・台湾では〜。日本では〜。
・日本人にとっては〜。
・昔は〜。今は〜。
・年配の人は〜。若い人は〜。
何しろわたしの文法がハチャメチャなのでウマいこと言えているかどうかはともかく、どっちがどう、というような部分的な比較を話さなければならない場面はほとんどなかった。それよりも、A はこう、B はどう、という代表的なことを言う状況が圧倒的に多かった。
違いというのは、最初ほど際立って見えるものだ。相手も、日本との違いをどこかステレオタイプで語ってくる。そのステレオタイプが自分の認識と合うかどうかによって、反応は変わる。ざっくりとしたことでも日本のことを語れるかどうかで、相手の反応も変わってくる。それがわかるだけに、言えないのはとても悔しかった。
もっと言うと、異国の地で必要になる「比較」って、構文で太刀打ちできるような話題なのか、ということ。わたしの場合は、もっと contents based なことを比較して説明したかったのだけれど、思うようにできなかった。
ここで大きな疑問がわいた。そもそもわたしが話したかったことは 比較なのだろうか。料理、建物、家族観、新幹線、嫁姑、習慣、教育観、社会、人生観……価値観に直結する話ばかりではなかったか。それを比較表現に収めるのはむしろ難儀なことなのではないか。ふと、日本語学習者は日本でどうしているのだろうかと思った。好むと好まざるとにかかわらず出身の国や地域代表を背負わされ、価値観を問われる。それにどうやって対応しているのだろうか、と。
そうだなー。結局、収まらないんだよ。一つの文型になんて。
勝手口から見た台湾の姿を、さまざまにお届けすべく活動しています。2023〜24年にかけては日本で刊行予定の翻訳作業が中心ですが、24年には同書の関連イベントを開催したいと考えています。応援団、サポーターとしてご協力いただけたらうれしいです。2023.8.15