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台湾ひとり研究室:本屋編「近藤弥生子著『心を守りチーム力を高めるEQリーダーシップ』に見る異文化スキーマの取り入れ方。」

これって異文化理解のプロセスを語った本だなあ、とちょっと違った視点で読み終えたのは、今年5月に刊行された『心を守りチーム力を高めるEQリーダーシップ』(日経BP)である。

著者は近藤弥生子さん。2019年にYahoo!ニュース特集でオードリー・タン(唐鳳)さんを取材した記事が大いに読まれ、今や取材執筆に編集を含めると年に1冊以上を刊行、という驚異的なペースで出版を続ける台湾在住のノンフィクションライターだ。プロフィールに取材のカバー範囲を「オードリー・タンからカルチャー界隈まで」とする彼女が、今回は「台湾式EQ」をテーマにした。

弥生子さんが最初に著した『オードリー・タンの思考』(ブックマン社)の副題に「IQよりも大切なこと」とある。弥生子さんご本人からお聞きしていたことだけれど、台湾頻出語彙といってもいい「EQ」という尺度の有用さや素晴らしさを訴え続けてきていた。より深みを増し、満を辞して日本へ届けられることになったと聞いて、大いに喜んでいる。

本書は、台湾のコロナ対策がきっかけで脚光を浴びたオードリーさんのことを日本で伝える際に決まって「高IQ」の冠をつけて紹介されることに疑問を持った、というエピソードに始まる。

一般にIQが知性を数値化して表す尺度であるのに対し、EQは心の知能指数といわれるが、言葉を変えれば、精神的な大人度を表す尺度のことだ。弥生子さんがオードリーさんへの取材で大きく心打たれたのは、オードリーさんのユーモアと品を保った「高EQ」の姿だった。そして同じ年に出した2作目『オードリー・タン 母の手記「成長戦争」』(KADOKAWA)では、オードリーさんが中学2年生の時に発した言葉に、EQの基本ルールを見出している。

「自分を曲げず、それでいてみんなとより良くやっていける方法を見つけ出せる力」

高学歴で知識が豊富でも、それだけで世の中をスムーズに渡れるわけではないことは、誰しも同意するはずだ。たとえば今月行われた東京都知事選で、他者とのコミュニケーションによって候補者の見え方が変わることが明らかになった。誰もが仕事にせよ、家庭生活にせよ、社会にいる限り自分ではない誰かと交渉や折衝を重ねて落とし所を探す。その繰り返しだ。

時に著名人の「神対応」がニュースになるのも、突発的、もしくは困難な状況でスマートかつ鮮やかな対応ができる人が多くないことの表れだ。日常にある数多のモラハラ、パワハラ、アカハラ、フキハラ……ハラスメントは震源地になる人のEQの低さに由来する。

本書は、そうした震源地をさらに深掘りし、震源地の底で何が起きているのか、著者自身の体験や観察から、台湾社会で市民権を得ているこのEQなる新たな尺度について、私たち日本人向けに分解して解像度高く伝える実践書である。

体験から具体的提案へと流れるような本書を読みながら、私自身も、台湾で自らのEQの低さが震源地となった出来事を振り返っていた。

もともと怒りや口撃で他者をコントロールする家族に育った私は、家族同様に、アンガーマネジメントがうまくできず、怒りを爆発させることで他者をコントロールしようとする一面があり、そんな自分に苦しんできた。結婚して10年になる台湾人夫からは、ぶつかるたびに「妳改變不了別人」(君には誰かを変えることはできないんだよ)と繰り返し言われた。その通りなのだが、どうしても同じ反応を繰り返しては自分の未熟さに落ち込む。

難敵な自分の思考パターンだが、台湾に来て変わった点がある。本書でいう「バウンダリー」、自分の課題と他者の課題に境界線を引けるようになったことだ。以前は他者から指摘があると、課題と自分との切り離しはおろか、全否定とばかりに受け止めて、自責の念を強めていた。だが、台湾で生活するうちに、問題が発生した際、まずは線を引くようになった。残念ながらまだ百発百中とはいかないが、線引きの打率は上がった……気がする。

人の暮らしには、身体的な健康だけでなく、心の健康を保つことが大切だ。けれども、どうしたって自分の経験値がまるで及ばない事態は避けようがない。弥生子さんは台湾という異文化にいて人が「どう対応するのか」「どう見るのか」を観察し、自らが生きやすくなる方法を考え抜いている。そうして本書を通じて、台湾式EQをチェックシートにまとめ、台湾でEQに関連するワードを武器として読者に提供するところまで昇華させている。シンプルに、凄いの一言だ。

こう書きながら気づいた。弥生子さんが本書で書いたのは、日本社会の中で身につけたスキーマや認知のあり方を振り返り、いったんそれを脇に置いて、台湾社会におけるスキーマや認知のあり方を「自分と他者がより生きやすくなる方法」として道を探ってきたプロセスそのものではないか、と。となれば本書は、彼女が異文化を理解していく道のりを書いたノンフィクションでもある。

もうひとつおもしろい試みだと思ったのは、『静かな人の戦略書』(ダイヤモンド社)の著者、台湾人のジル・チャンさんが上のような弥生子さんの試行錯誤に伴走している点だ。ジルさんは、台湾のスキーマや認知のプロセスの解説役となって、台湾式EQの解像度を上げている。

異文化への適応には、一般に「否定→防衛→最小化→受容→適応→統合」という段階を踏むことが知られる。異文化を前に「なんでこうなるの?」「こんなのおかしい」と思うのはごくごく自然な反応だ。そこで対象を嫌いになってしまうことだってある。けれども、対象としっかり向き合い、そのよさを取り入れて、一般化までしたのだ。

ともあれ、自国だろうと異国だろうと、予想外の事態に遭遇した時、あるいは突破口が見えないと思うような時、ぜひ本書を開き、「自分を曲げず、それでいてみんなとより良くやっていける方法を見つけ出」すアプローチを試みてほしい。台湾社会とぶつかりながらもしなやかに掘り起こした本書を盾に、きっと糸口が見つかるはずだ。

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田中美帆|『高雄港の娘』春秋社アジア文芸ライブラリー
勝手口から見た台湾の姿を、さまざまにお届けすべく活動しています。2023〜24年にかけては日本で刊行予定の翻訳作業が中心ですが、24年には同書の関連イベントを開催したいと考えています。応援団、サポーターとしてご協力いただけたらうれしいです。2023.8.15