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台湾ひとり研究室:映像編「中国歴史ドラマ『宮廷の諍い女』を中国語で観るときに押さえたい用語ー自宮」

2011年に中国で放送され、日本でも好評を博している中国ドラマ『宮廷の諍い女』(原題:後宮 甄嬛傳/公式サイト)。描かれるのは、中国版大奥で繰り広げられる、女たちの壮絶な権力争いだ。愛憎、妬嫉、裏切り、失意などが凄まじい迫力で描かれる。《後宮 甄嬛傳》の名場面を何度も観ているうちに、気になる単語が出てきたので調べた。「龍」「後宮」「本宮」に続き、自宮を取り上げる。 

自宮という刑罰

宮がこんなにも深い意味をもつと知ったのは、調べて初めてわかったことだった。中国語字幕版を自宅のケーブルテレビで繰り返し観ているのだが、語学学習にとっては、ドラマだっていわゆる一つの教材だ。ドラマの中国語を理解する手立ては何も字幕だけではない。時代背景、登場人物とその相関図、前後の文脈、映像、音声など、あらゆる素材が理解につながる。

そうして何度も観るうちに語彙や表現は増え、理解度は上がっていく。観るたびに違う発見がある。今回取り上げる「自宮」の文字に気づいたのは、何回めかのことだった。

話はドラマも終盤の 62 話に始まる。祺貴人の謀略によって、甄嬛と侍医の温実初の 2 人に姦通の疑いがかけられる場面である。雍正帝の疑心といえば、それはもう、兄弟間で皇帝の座を奪い合うところから始まっているのだから、根は底なしに深い。単にそんなことはありません、信じてください、と言うだけで一度かかった疑惑の霧が晴れるわけがない。

そこで温実初の取った行動が、くだんの「自宮」、つまりは自らによる去勢である。

実はこの 2 字、手元の中日辞典 2 冊では取り上げられておらず、検索で初めて意味がはっきりとわかった。検索万歳な単語だ。
 
これまで見てきた宮の字の意味は、場所、自称だったが、今回は刑罰である。1 字のバリエーション半端ない。『宦官―側近政治の構造』(中公新書)には次のように記されている。

宮刑というのは古代の刑罰である五刑の一つであった。この五刑がなんであったかについてはいろいろの説があるが、儒教の経典の一つである『書経』によると、入れ墨、鼻切り、足切り、去勢、死刑をさすと言っている。このうち、宮刑が去勢であることはいうまでもない。宮というのは性器を意味する。この刑はまた淫刑といわれるように、原則として男女が不義をおかして結ばれた場合に適用される。(本書より引用)

意味はよくわかった。だが、逆にここで疑問を持ったのは、不義を犯していないことの証明に去勢を行うと、かえって不義を認めることにならないかという点だ。ま、もちろんドラマではそんなことにはならず、また違う展開になったのだけれど。
 
ところで、この「自宮」は宦官に行われる措置でもある。ドラマでも、甄嬛の侍従である小允子のほか、蘇培盛(皇帝の侍従)、周寧海(華妃の侍従)、江福海(皇后の侍従)と、権力争いで重要な役割を担う宦官たちの姿があちこちに光る。前掲書には、宦官の基本的な特質について、次のように紹介がある。

宦官は官僚とちがってかくべつ学問とか行政能力が必要なわけではない。それどころか、むしろ妨げになることが多い。宦官がえらばれる基準はまず容姿であった。その理想像は、年が若く美男でしぐさがエレガント、言葉がはっきりとしてかつ美声であり、しかも打てばひびくような利口さが必要とされたのである。(本書より引用)

確かに、各種儀礼の際に声を張って指揮する場面などを見ていると、声は一つの条件だったことに合点がゆく。また清朝の宦官については、次のようにある。

倹約家であった康熙帝が康熙 49 年(1710 年)に下した勅諭によると、そのときの宦官の数は 400〜500 人であったから、明末の宦官 10 万人という数にくらべるとおどろくべき削減ぶりである。(略)清朝では皇族にかぎり、その身分によって多いのは 30 人から、少ないのは 4 人まで使用が許された。(本書より引用)

ドラマの中では皇帝の侍従を務める蘇培盛が、いろいろな展開があって印象深かったのだけれど、雍正帝に媚薬を使ったことが明らかになり、安陵容の家宅捜索をしているシーンに、2 人のこんな会話がある。

蘇培盛:娘娘別慌,只是搜宮而已。
安陵容:搜宮跟抄家似的。本宮知道永壽宮搜宮過。風水輪流轉,今日也來到本宮這裡了。
蘇培盛:風水是輪流轉哪。好日子過了頭,壞日子就臨頭了。
安陵容:日子好壞也不是一個閹人說了算。
(宦官たちが捜索する画が流れ、1 人が「公公,找到了」と蘇培盛の元へ)
蘇培盛:閻人也是人,說的也是人話。

訳)
蘇培盛:ま、探し物ですので、驚かれませぬよう。
安陵容:これじゃ家宅捜索よ。永壽宮も探したのでしょう。風が変わったのね。
蘇培盛:風は移り変わるものにございます。幸いの後には災いがやってきますようで。
安陵容:宦官ごときが人の幸不幸を口にするでない。
(宦官たちが捜索する画が流れ、1 人が「見つかりました」と蘇培盛の元へ)
蘇培盛:宦官も人間ですし、話すのもまた人間の言葉にございます。

「閻人」とは宦官の別称である。窮地に立たされた安陵容が「本宮」とあえて自分を高みに上げた上で放った断末魔のようなひと言に返したカウンターは、さすが!と思ったのだった。

次回は後宮の中の恐怖の館「冷宮」を取り上げる。

勝手口から見た台湾の姿を、さまざまにお届けすべく活動しています。2023〜24年にかけては日本で刊行予定の翻訳作業が中心ですが、24年には同書の関連イベントを開催したいと考えています。応援団、サポーターとしてご協力いただけたらうれしいです。2023.8.15