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やさしいカツアゲ
プロフィール記事でも書いているのですが、中学生のときに勇んで路上で弾き語りをしていたらカツアゲされました。私にとってそれはあまりにもやさしいカツアゲとして記憶に残っています。
そのとき私は中学校1年生。友達にギターを教えてもらい、ゆずとかその他のフォークミュージックを弾けるようになりました。
「これはいける」と確信した私とその友達は、オリジナル曲まで携えて近くの繁華街(北九州市黒崎)に向かいました。
ちなみに北九州市といえば、修羅の街とも言われ、ヤクザやらヤンキーやらが大変多く生息しておりました。住宅街からロケットランチャーが発見されたり、発砲事件が通学路周辺のビルで起こったり...。そんな中でも黒崎は、決まった曜日にヤクザが見回り集会みたいな感じでわさわさと集結するような暗黒街でした。
ただ黒崎も地元なのでそんなに怖いと思ったこともなく東京・原宿にいくような感覚でした。小さい頃、母と初めてモスバーガーを食べたのも黒崎ですし、サッカーのシューズを買ってもらったのも黒崎でした。
冬の寒さも物ともせず、ワクワク感に身を任せてバスや電車を乗り継ぎ、商店街活気づく黒崎の街へ。駅のエントランス前の一角で、二人はギターを抱えて座り込みました。
投げ銭用のギターケース、覚えたてのFコード、オリジナルソング、音に反応して振り向く人々...。
「完璧。いける。」私の中ではイメージはデビュー目前の二人組です。歌うたびにでる白い息に酔いしれながら、気持ちよく歌っていました。途中、数人の方が声をかけてくれ暖かいエールを送っては去っていきました。
日も暮れかけたころ、どこかの高校の制服をきた兄ちゃんが、私たちの前に座りしっかりと歌に耳をかたむけてくれました。歌が終わるとひとり拍手してくれて、寒いのに頑張っとーね。なんて気さくにやさしい声をかけてくれました。会話は続きます。
「おまえらどっからきたと?」
「高須っちとこ」
「ギターうまいやん」
「いや、でもまだ始めたばっかりなんちゃね」
「へぇ、おまえらいくつなん?」
「いま13」
「中一?」
「そうばい」
「おれ何歳にみえる?」
「うーん、わからんけど高校生?」
「おう、そうやなおまえらとはタメやねえな。」
「そうやね」
「じゃあなんでタメ口聞いとん?」
思えば敬語というものをこれまで使ってきていませんでした。この時点で、兄ちゃんの趣旨がみえた私たちは正座しました。中学校で怒られるときは正座するからです。
「おまえらナメとんかちゃ、そんな座り方したら明らかおかしかろうが。」
「はい...。」
「おまえらちょっと裏こい。」
からの
「金出すのと、殴られるのどっちがいい?」
とのことなので、もちろんお金を出すことを選択しました。日も落ちかけてきた時間帯の裏路地で、兄ちゃんの目が鋭く光っているようでした。私たちがノロノロと財布を取り出しているときにこう質問されました。
「おまえらここまでどうやってきたんか?」
「バスと電車です」
「いくら?」
「1000円くらいです。(本当は450円)」
「じゃその交通費残して全部金出せ」
中学生なので財布の中身が暖かいわけもなく、1000円を抜くと二人合わせて300円みたないジャリ銭です。10円玉多めでジャリジャリと受け渡しました。
お金を数えたりせずに兄ちゃんはそのままポケットに詰め込み、いいました。
「これはおまえらの教育料やけんな。気をつけろよ。」
彼なりに目上の人に対する接し方がなっとらんとお仕置きのためにカツアゲしたようなのです。
「あの高校生の兄ちゃん、やさしいんかね?」
「ようわからんけど、交通費1000円もかからんやろうがっち言われたらヤバかったね。」
帰り道の電車でそんなことを話ながら友達と帰りました。あの日私は、修羅の街の不器用なやさしさに触れたのかもしれません。
おしまい。