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私はカタカナを疑っている

「これってなんのためにやってるの?」とか「ほんとうに必要?」とか思うことありませんか?

私がそう感じるとき、それはカタカナで表現されたものが関係していることが多いのです。

例えば、シャンプー。

いろいろな種類のシャンプーがあります。テレビCMで、どれも我が商品が一番と言わんばかりの宣伝をしています。なんとかうるおい成分配合、濃密泡がなんたらかんたらと最新の研究技術を競っているようです。

どれも良いのだと思います。こんなにもいろいろな商品を吟味しながら、なぜ私たちはシャンプーをしているのでしょうか?

そもそもカタカナの時点で、日本文化に途中から参入してきた感じがプンプンします。日本の歴史からすればシャンプーは新参者でしょう。

調べてみると、どうやらシャンプーが入ってきたのは明治時代以降。当初は、ハリガネのようにツンツンしていた日本人の髪質を柔らかくするために使用していたそうです。外人への憧れが日本での始まりです。

日本でシャンプーが使用される以前は、水やお湯で洗うのみ、たまにふのり(海藻の一種)使用だったようです。水やお湯のみの洗髪は、現代では「湯シャン」と呼ばれ、今も一部のヒトはそうしているようです。一説によるとそうした方が頭皮の状態や髪の毛を清潔に保てるそうです

私が湯シャンを試していた時は、かなり良い状態だった気がしています。まとまりやすく抜けにくく、それでいて臭いもカユミもなく。

ただ妻から不潔と言われてやめました。絶対そんなことないと思うんですけどね。本当のことは、現代の教育や情報ではわかならいのだと感じました。とりあえず今は普通にシャンプー使ってます。

ともかく、私はそんなカタカナを疑っています。どちらかというと本当のことを知れない社会を疑っています。そう言うとひどくめんどくさいヒトだと思われるので普段は言いません。

ほかにも真実を知るに値することはたくさんあるはずです。そんなことを考えながら、私はサラダにドレッシングをかけて食べるのです。

おいしい。

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