アルメニア人虐殺問題
「アルメニア人虐殺」なるものが世の中にあると知ったのは、1991年5月、湾岸戦争直後に中東地域を1人きりバックパック旅行をしているときだった。
ネットもない時代、LonelyPlanetのおそらく「Middle East」と「地球の歩き方・中東編」だけを手にエジプト・カイロの第2空港に到着。自分の将来に根拠のない自信を持てた30歳。いろいろさまよった挙げ句、ヨルダンでパスポートにスタンプを押さない特別な入国ビザを得てイスラエルに入国、バスでエルサレムに到着。壁の中で素泊まりのホテルの一室でシャワーを浴びた後のことだった。
エルサレムには4つの地域があり、その1つが聞いたこともない「アルメニア区域」。キリスト教・ユダヤ教・ムスリム(イスラム教)、血で血を洗い2000年以上争ってきた3区域に肩を並べる「アルメニア人」とは何?
ガイドブックにエピソードとしてアルメニア問題のコラムが掲載されていて、そこで仕入れた知識をもとにエルサレムに滞在した2泊3日の間、アルメニア人地区を歩き回った。知識がなく、エルサレムを体感することしかできなかった。アルメニア人の歴史に思いを寄せるよりも、四方を壁に囲まれた地域での2000年の人間社会のあり方で村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の記憶だけをたどっていた。
その後ヨルダンに戻り、今はなきシリアでダマスカスとパルミラを歩いてからアレッポを通ってトルコに入った。トルコはどの店で食うものも美味く、悪い印象など全く無い国なのである。しかし、イスタンブールで本屋に立ち寄った際、アルメニアに関する歴史の本でもないものかと探し、店長に「アルメニアに関する本はないか?」と尋ねたところ、ゴキブリを見るかのような目つきで「ノー」と言われた。
これが30年前の個人的なエピソード。アルメニア人地区でゲットしたブックレットはきちんと所蔵しているし、その後『悲劇のアルメニア』(新潮選書)も読んだし、いつの日かアルメニア死の行軍をモチーフにした小説を書きたいなといった思いも持ち続けている。と思いつつ60歳になった。
そんな中で、バイデン大統領が「虐殺と認めた」というニュース。そりゃああれは虐殺だが、トルコは認めない。アメリカがエル・サルバドルで手を貸したことは虐殺ではないのか、ソンミ村は? 重慶は? 広島長崎沖縄は?
「殺すな!」 結論は既に出ている。
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