著作権侵害されて訴える権利者と喜ぶ権利者がいる
JASRACと音楽教室での教師及び生徒の演奏が公衆演奏に該当するとして使用料を徴収するという事件.
演奏主体の判断について、原審、控訴審、上告審の判断が目まぐるしく変わった.
演奏主体の判断について規範が定まっていないことの現れ.
演奏権の侵害と判断するからには、教師及び生徒の演奏が公衆に対して行われていなければならない.
著作権法上の公衆とはなにか
違和感を持つ理由の一つが「公衆」.
普段使っている「公衆」と著作権法の「公衆」とでは、同じ「公衆」でも考え方が異なる.
公衆=不特定ではない
普段使っている「公衆」と言えば不特定の人を意味する.
従って、不特定の人でなければ、つまり特定の人であれば、社会通念上の「公衆」には該当しない.
不特定は人数の多寡を意味しない.
特定多数や特定少数も不特定ではない.
人数の多寡とは関係ない、ということは、大人数であっても特定されていれば良いことを意味する.
しかし、このような「公衆」を著作権法で使うと差し支えるから、著作権法は「公衆」には特定かつ多数の者を含む、と定義している(著作権法第2条第5項).
人数が多いことが問題
人数の多寡を問題にせず、単に不特定の人だけを「公衆」にすると、会員制と称して不特定の人を特定化することで「公衆」要件を免れることができる.
身分を確認して会員制にすれば、1万人や10万人の特定の集団を作ることができる.
このような多数の特定の人を相手に上演や演奏をしても著作権の侵害にならない.
これは何か変だということになる.
著作権法の「公衆」は、社会通念上の「公衆」である不特定の人と、特定かつ多数を加えている.
したがって、著作権法上の「公衆」に該当しないためには、特定かつ少数でなければならない.
特定かつ少数の典型的な例は、電話で歌ったり、ファックス送信のような、特定の一人に対して演奏や送信を行うこと.
何人までが少数なのか
一般に50人を超えれば少数ではないと言われている.
だからと言って10人なら大丈夫ということではない.
相手の許諾を得ずに演奏したり上演したりすれば、それこそ5人でも公衆を理由に訴えられるかもしれない.
何人までが公衆なのかは、最終的に裁判になるまで答えはわからない.
コンテンツを大勢に拡散したいという人もいる
コンテンツを作っただけで満足する人はいない.
誰かに聴いてもらいたい、コンテンツを創った自分の存在を知ってもらいたい、と思うはず.
コンテンツを無断で拡散することは著作権の侵害.
しかし、なかには無断で拡散してもらいたいと思っている人もいる.
著作権侵害に該当しても、無断で「拡散」してもいいと思っている人にとって、その「侵害」は悪いことではなく良いこと.
5人でも公衆を理由に訴える人もいるのとは逆に、1万人でも訴えない人がいるかもしれない.
権利者が自分のコンテンツを大勢に知覚してもらいたいと思っているなら、1000人でも1万人でも訴えられることはない.