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先生の白い嘘20240706

鳥飼茜先生原作の「先生の白い嘘」の映画化は、Xでフォローしている鳥飼先生のアカウントからの告知(注 2024070614時現在映画化についてはポストなし)ではなく、「監督のインティマシーコーディネーター拒否事件」で知った。

へえ、、「あの作品」を映像化か、、と何気なくインタビューの内容を読んで

三木康一郎監督コメント
「奈緒さん側からは『インティマシー・コーディネーター(性描写などの身体的な接触シーンで演者の心をケアするスタッフ)を入れて欲しい』と言われました。すごく考えた末に、入れない方法論を考えました。間に人を入れたくなかったんです。ただ、理解しあってやりたかったので、奈緒さんには、女性として傷つく部分があったら、すぐに言って欲しいとお願いしましたし、描写にも細かく提案させてもらいました。性描写をえぐいものにしたくなかったし、もう少し深い部分が大事だと思っていました」

ENCOUNT編集部

心臓がクチから飛び出るかと思った。
「性加害がテーマの映画に出演する女優さん側がIC(インティマシーコーディネーター)を要望したのに、監督が断った。」という映画制作場面でのエピソードがそのまま掲載されていたからだ。

私が本件をSNS上で認識した時にはもう炎上していて、批判的なコメントがツリーにぶら下がっていた。「大好きな作品だから、監督の『方法論』の詳細を続報等で知ってから、劇場に足を運ぶかどうか判断したいなと考えて、7月5日の映画初日(炎上したのは前日の7月4日)の舞台挨拶のタイミングで、どんな報道があるか続報を待った。


予想通り舞台挨拶のときに監督が謝罪している。プロデューサーは謝罪文を読み上げている。
当該女優さんがしっかりした言葉で映画製作の現場に関してコメントしている。

「私は大丈夫です。」

それでも、SNS上の炎上は収まらず、インタビュアーの平辻氏が報道時の文書についての意図を説明し、映画の紹介を補足するような事態になった。

追記 SNS上で報道メディアおよび執筆者を批判するコメントも一定数確認できるが、私自身は、このインタビューでICに関する持論を監督から引き出した平辻氏の力量を私は凄いと思う。

平辻氏の追記を読んで、この映画は絶対劇場で観なければと思ったし、CM映像中心にキャリアを積み上げてきた三木監督のことも「もっとよく知りたい。」と思った。
いわゆる「女優を脱がす」ことに関する旧昭和ロマンポルノ系列監督・製作の悪行については、耳目に しいところであるが、三木監督の本映画製作に関する熱量は、◯筒監督や某◯とはまた違う方向性なんだと受け止めた。

原作:鳥飼茜先生コメント

特定のニュースを名指しする必要もないだろう。性が犠牲になる出来事は今日も私たちの目の前にアップロードされている。
私は性被害を無くしたくてこの漫画を描いた。被害にあったひとが恐怖心から、恥辱から、自己嫌悪から、声を上げられずにいる様に憤って、胸を痛め、この漫画を描いた。性を弄ばれると人は底なしの無力に突き落とされる。人格なんて関係なしに、ただの容器かのように一方的な視線を浴び一方的に欲情され、恐怖の下ほしいままにされた後、愛だったとか合意だったとか「からかい」だったとか言われたら、そういうことにしておきたい気持ちがよくわかる。だって人権を剥奪されて蹂躙された物体にされたなんて認めたくはないから。
そんな人として当たり前の欲求と、想像を絶する葛藤を超えた結果に被害の告発をした人の力強さには頭が下がる思いしかない。彼等の告発がたとえ事後何年後であれ、その葛藤を私は讃える。きっとそこには声を上げない選択をした人がいるだろう。それでも、誰かがこういう目に遭いました、と堂々と発する姿は、無言の被害者を否定することではなく、むしろ静かにその存在を肯定するはずだと、私は思う。
そう思っている人間がここにいますと、声を上げたくて描いたのが『先生の白い嘘』という漫画だ。だからどんな演出をされようが映画『先生の白い嘘』もそういう立場でないといけないと、少なくとも原作の私は思っている。

漫画が映像化するということは基本的には光栄なことだ。 それでも、メディア化というある種自分の手を離れる場面にあたって、自分は自分の描いたこの作品に最後まで粘り強く責任を取り続けたか、と問われると自信がない。
自分はこの漫画を描くとき確かに憤っていたのだ。ひとりの人間として、ひとりの友人として、隣人として、何かできることはないかと強い感情を持って描いたのだ。それはある意味特別で、貴重な動機づけだった。漫画に対していまあんな情動は持てない。
性被害に対し、何を言い、どんな立場なのか。そのシンプルで一方向的な態度と、より大勢のひとを巻き込む映像化というプロセスは、両立させることが非常に困難なものだと思う。 この映画に携わった全ての人の価値観を私がリードすることは出来ない。映像化にあたり、見せたい箇所が各々違うところにある場合もあると思う。それが漫画と違う大きなポイントだ。

この映画を見た人が性被害について何を思うのか、思わないのかも、私にはタッチできない。 映画『先生の白い嘘』は私ひとりの手を遠く離れた映像作品だけれども、まず初めに上のような、人間の強い憤りが芽吹かせた物語であることは紛れもない事実だ。
そして一鑑賞者の私には、全てのシーンがともかく誠心誠意作られたものと感じられたことが大変ありがたかった。

先生の白い嘘 公式HPより 

本件について、家人と話そうとしたところ、話を半分も聞かずに「人を雇う分、製作費がかかるから、仕方ない判断だったんじゃないか」と箸にも棒にもかからない意見が返ってきた。毎日顔を合わせてご飯を食べて一緒に眠っている大事なパートナーの第一声がこれかと、ICに関する本邦全体の認識の低さに絶句した。

でも、諦めてはならない。

男性と女性の「性」は、どこまでも食い違い、分断の道は続く。女同士だって男同士だって分かり合えない究極の「プライベート」。
それを表現しようと知恵と工夫と勇気で向き合っている人々に、拙速な批判を向けてはならない。

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