雲が、きれいだよ。
「その薬を飲んでると、私はアスファルトの間から茎を伸ばして咲いてる小さな花や、空の雲の形や色を『きれいだなー』と心が震える経験ができなくなってしまうのです。どうしても服薬することを続けなければいけないですか」
と、私は10年前に当時の主治医に訴え、主治医は困った顔をした。そして服薬の中断を許可しなかった。
夫にその件を相談すると、「普通は、道端に咲いた花にいちいち心を動かさない。雲は雲だよ。それ以上でも以下でもない。あなたは普通じゃないんだ」と言い、若干冷たく突き放された気がした。
主治医は高齢だったので、体調を崩したせいで、その医院を承継した新しい主治医は脳神経内科がご専門で、私の道端の小さな花の話と雲の色と形の話をふんふんと聞いてこう言った。「あなたには情熱が有り余っているんですね、少し熱量を下げてはどうかと思うんです」と新しい薬の提案をした。
その薬を飲むと、心の底にいつもいる「あの人」のことをすっかり思い出さなくなった。手に入らないあの人の傍の席。触れそうなほど近づいたのについぞ触れさせてもらえなかった、彼のドロドロしたコンプレックスや底冷えのする恨。
思い出さなくなったことで、生きやすくなった。
あたたかい夫の声や、手のひら、ちょっとした会話がすんなり心に入ってくる。私は愛されている。彼には愛されも大切にもされないのになぜ、こんなに執着していたんだろう。
情熱のカロリーを下げたその薬を服薬している時、幼馴染と神戸に旅行に行き、海と夜景を見ながら、「あの人」の話は省いて、小さな花と雲の色と形の話をした。
幼馴染は、夫が私のことを普通じゃないと言ったことに憤慨し、「雲の色と形は、いつみても素晴らしいものだ。あなたが心を寄せるのは当然だ。ちっともおかしくない。」とホテルのバーのカウンターで焼きうどんをシェアして食べながら
慰めてくれた。
旅行2日目、幼馴染は神戸を巡りながら坂道から空を見下ろし、輝く海の色に重なる繊細な雲の形を見つけて、「蝉子ちゃん、ほら、雲だよ、きれいだよ」と何回も言ってくれた。帰りの電車の中から少し時期をずらした積乱雲が見えて、また彼女は「雲だよ、見ようよ蟬子ちゃん」と言ってくれて、泣きそうになった。
「あの人」には、とんでもなく頭がよくて、明るくて、分別とユーモアに恵まれたパートナーがいて、それを私に隠すところがどうしても受け入れられない。
なぜ?その人を愛していることを余すところなく私の前で披露すればいいのに。そうしたら、「選ばれない自分」のことをすっかり呪えるのに。薬で執着が消えるのはとてもいいことだ。
私の穢れた部分を知らない幼馴染は、無邪気に「きれいな雲」を何度も指差し、泣きそうな気持ちで、一緒に見た。なんてきれいな雲なんだ。
雲の色の豊かさが、幼馴染のおかげで、さらに深く心に沁みる。
幼馴染よ、私と仲良くしてくれて本当にありがとう。私、あなたのためならなんでもするよ、誓うよ。like a bridge over troubled Water,I'll lay me down だし、
You just call out my name
And you know wherever I am
なのだ。
でもって最近、「普通は雲の色に心を動かされない」ってきっぱり言ってた夫が、「ほら見て、夕焼けだよ、きれいだよ。」と言って窓の外を見せてくれる。私は黙って幸せな気持ちで夫とも一緒に空の色を眺める。心を震わせて。
人生は長く、「もうこんな辛いことが起こるなんて」と嘆いても、どん底におちても、自分の周りが明るい光に包まれてることに、いつか気づくこともある。私は幸せになることを一生あきらめない。