嵐の中にいる
念のためチケットの抽選申し込みページからマイページへ飛び、申し込み履歴を確認する。
手帳と照らし合わせ、ひとつひとつマーカーでチェックを入れながら全部で15公演。東京は全部で24公演、内3公演は貸切で申し込めないから、21公演中15公演。
ニジュウイチブンノジュウゴ。
どこか1公演でも当たればいいし、全部当たったら全部何とかする。何とかできる、今の私なら。
私が圭くんのためにできるのは、ここまでだ。
あとは抽選という神のサイコロが振られるのを待つしかない。
深く息を吐き出し、椅子の上にぎゅっと縮こまった両足をゆっくり床へ伸ばす。
久しぶりに床に触れた気がする。
ナチュラルブラウンという名だっただろうか。元は明るい茶色だった床は今は黒ずんで、ミドルブラウンに近い色だ。ざらついて不快だが、床は椅子より広くて安心する。
集中すると椅子の上に疼くまるように座る癖がある。首を後ろに倒すが、想像以上に動かない。肩も気がつけばバッキバキだ。
こんな時はまず、ホット小豆だ。どこにしまったっけか。おそらく私のことだから、リビングのどこかにはあるはずだ。
立ち上がると腰からも派手な音がした。
鳴らしたくて鳴らしたわけじゃないけど、スッキリした。
床やテーブルの上、そこかしこの家具の上など、ざっと確認したがホット小豆はない。諦めて冷蔵庫からアイスコーヒーを取り出し、マグに注ぐが、ホットが飲みたい気分だったと思い出して、マグを片手に電子レンジを開けた。そこにホット小豆があった。
昨晩、これで申し込みは完了した、と言い聞かせた12公演。無意識にホット小豆をレンジにかけ、そのあと、やはり足りないのではと不安になり、そのままTwitterを開いて、今に至る。
いや、その間、息子は寝て起きて、弁当代を持って学校に行ったし、旦那は、コロナ感染者数の増加を受けてたのか、飲み会がキャンセルになり、家で焼きそばを自分で作って食べてテレビを見て寝て、会社に行った。
私は。
私だって、Twitterで情報収集したまま寝落ちしたけど、息子と旦那の朝ごはんのパンを食べさせて、息子にはお弁当代を渡して見送って、その後にシャワーも浴びたし、お昼ご飯にマックデリバリーでダブルチーズバーガーセットを頼んで全部食べた。夜、帰ってきた旦那にレトルトカレーを温めて食べさせたし、洗濯機も回した。回した洗濯物は旦那が干してくれたから問題ない。今になって私も空腹を感じているけど、もうすぐ21時になるから我慢して、今はホット小豆。そうだ、ホット小豆だ。一晩ごしのホット小豆。私の任務が完了した証。
チンしたホット小豆を、熱いのが苦手なのですぐには触れない。冷めるまで、とりあえずダイニングテーブルの上の片付けでもするか。
手帳、ペンケース、散歩の達人、付箋、VOCE、エアコンのリモコン、テレビのリモコン、DVDプレーヤーのリモコン、午後の紅茶のペットボトル、ダブルチーズバーガーの包み紙とポテトのケース、丸まったティッシュ、ヘアクリップ、爪切り、回覧板、ビニール袋、何かのレシート。
ダイニングテーブルにものが一つも無くなると、心までスッキリする。
改めてレンジを開けると、思ったよりもホット小豆はホットではなかった。
ぬるいホット小豆を肩にのせ、椅子の上に再び伸びる。
やりきった、今回も。
あとは神様、どうかお願い。
別に熱烈なファンっていうわけじゃない。でもタナカーではあると思う。
田中圭が出演するMUSIC BLOODでファンの呼称について、照れながら彼が「タナカー」と言った時に、自分が呼ばれた気がして嬉しかったのだから。あのはにかんでいる圭くんは可愛かった。
生で見られるチャンスは逃したくない。
息子の手が離れつつある今は、4年前、圭君を好きになった頃より、私は自由だ。でもこの自由が、いつまた親の介護やら旦那の職務状況やらで、消えるとも知れない。
息子は小学6年生で、まだ母親への愛情を隠さない子供らしさがある。
でもそれが、中学生となったらどうだろう。
環境の変化や、ホルモンの変化、いわゆる反抗期などが訪れ、また私はその新しい嵐に攫われるに違いない。
思い返せばいつだって、何かの嵐の中にいた気がする。
高校生の頃、自分でお弁当を作るようになったのは、お小遣いを食費なんかで減らしたくない、という学生らしい理由からだった。
週に一度だったお弁当作りが、週に二、三と増え、毎朝台所に立つようになるまでに1ヶ月もかからなかった。あんなに節約したかったお小遣いは、レシピ本の購入に充てられ、それがダイエット料理、発酵食品と品を変え、大学は栄養学のある女子大を選ぶまでに至った。思えば、あれが初めての「嵐」だった。
妊娠をきっかけに子供の幼児教育について1冊本を読んだ。それがきっかけとなり、幼児教育に熱を灯し、近所の図書館の本は読み尽くしたし、本屋で教育本を物色しては、ヤフオクで安く手に入れて読み漁った。手作りのモンテッソーリ教具をこさえたり、息子をモンテッソーリ教室と英語教室とプールに通わせ、気がつけば小学校のお受験までさせていた。おかげで彼は国立大学の附属小学校に通って早6年目だ。就学前は、家での学習がほとんど全てだった。はりきって時間割表までつくっていた。
だが、小学校に入り、お友達と同じ塾に通うようになってからは、家庭での時間イコール、宿題をこなす時間になってしまった。
彼の世界の拡がりを喜ぶ一方で、どこか寂しさも感じていたし、時間を持て余すようになってしまった。その寂しさを埋めたのがドラマだったのだ。
ドラマはいい。
お金がかからないし、時間が潰せるし、働いていない自分でも社会と繋がれている気分になれる。実際、息子の女の子友達と芸能人の話題で盛り上がれるのは、間違いなく、ドラマのおかげなのだから。
時間潰しにみていた「おっさんずラブ」を見て、また嵐の中に連れていかれる予感がした。
牧が春田を冷蔵庫に押しつけてキスするシーン。キスされて慌てふためき、「別にいいですよ」と恥ずかしがる春田創一に落ちた。恋ではないけど、好きになる。芸能人を好きになるというのはこういうことなのか、と冷静に分析する自分もいた。
「おっさんずラブ」のヒットをきっかけに、田中圭は一気にブレイクしたらしい。
らしい、というのは、それまでの彼の経歴について何も私は知らないのだ。TVに疎い私でも感覚でわかる程、彼はブレイクした。田中圭を見ない日はないし、ドラマや映画の主演をバンバン決めていった。
私が彼を好きになったのは、「春田創一」という役のフィルターを通してなので、「カッコいい田中圭」より「母性本能をくすぐる田中圭」の方に目がいくようだ。
昨年の舞台「もしも命が描けたら」は素晴らしかった。愛を知り、愛を求め、彷徨う少年のような無垢な姿に目が離せなかった。観客の誰もが彼を見つめていた。
公演直前のコロナ感染による身体への負担。
元々タイトだった稽古スケジュールがおそらく1週間程度に縮小されたこと。
冒頭30分程度、ほとんど独白で構成された膨大な台詞量を、短期間で覚えなくてはいけないこと。
直前に行われた田中圭サプライズバースデーパーティーに大人数が集まり、本人はもちろん、主催となった親友の俳優が批判に晒されたこと。
主演として、自分が倒れれば、この公演はそこで途絶えてしまうこと。
喉は枯れ、汗だくで舞台に立つ彼をこの目で観られた感動は忘れない。
まさに「命を燃やして」つくった舞台だったのだ。
そのひたむきさに心を打たれた私は、どんどん「田中圭」という嵐の中へ誘われていったのだ。
年に一度は舞台もやりたい、と宣言している通り、今年もチャンスがきた。
昨年よりも「この目で田中圭を観たい」という熱は増している。前回の世田谷パブリックシアターでの公演が、圭モバ会員(ファンクラブ)でさえ先行抽選に落ちたという情報を受け、私は焦った。東京千秋楽や初日はまず当たらないだろうけど、行ける限り劇場に行きたい。あの嵐の中にいた、当事者になるために。
ドラマでさえ、昔の彼の出演作を見ると、あぁ、何故この頃彼に出会えていなかったのだろう、と後悔に襲われる。
舞台はその瞬間しかない。映像化した舞台作品もいくつか見たが、物足りない。きっと当時の嵐の中は、こんなものじゃなかった。そしてもうそれは、2度と取り戻すことができないんだ、という喪失感。何よりこれが辛い。
できる限りの努力はした、と自分に言い聞かせたい。
だから自分が想像できる限りの努力はしようと思った。もちろんそこには、時間的な、金銭的な理由の選択はあっても、専業主婦の、一児の母の、「できる限り」で構わない。
そうやっていつも、「できる限り」のできることを自分に課して、嵐の中を生きてきたのだから。
満足に料理はしていないし、子供のお弁当でさえ現金を渡すだけ。旦那に至っては一言もしゃべらない日々が何日も続く。洗濯機はボタンを押すだけで、干すのも畳むのも旦那と子供任せだ。自分のシャワーだって忘れる日すらある。チケットの抽選受付から、掃除機なんて一度も触れていない。そういえば寝巻きから着替えたのはいつが最後だろうか。
嵐の中にいる、とはそういうことだ。
昨晩、息子からLINEが来ていた。
今日塾だけど、夜ご飯のお金足りないからSuicaで払っていい?
無意識に「いいよ、ごめんね」と送っていたらしい。
ごめんね、お母さん、また狂ってたね。
でもね、ごめん。
まだまだこの嵐から抜け出せないの。
田中圭という嵐から、私は抜け出すことができない。
#田中圭
#私小説のような小説
#タナカー
#もしも命が描けたら
#夏の砂の上
お写真はいぬけんぴさんからお借りしました。ありがとうございます。