記録_9_18_sun_2022_1841_2112

<適当、な塩梅を探る難しさ>

1841 /// 呑みながら書いているとそれはなおさら難しくなります。 / 「適当」という地点を探ることがとても難しくなるのです。 / 適っていて、当たっている地点のことです。 / おざなりにすることではありません。 / この記録を始めて、様々な点において気づきがありました。 / その気づき自体を記録していたりしていなかったりするわけですが。 / それらの気づきは私の生活の中での記録自体の新鮮さから由来しているものが多い現状です。 / いわゆるノリで、勢いで記録可能な部分を記録していたに過ぎない。 / そしてこれまでの記録も「他人に読まれる」という側面を重んじている記録と「私自身と筆舌し尽くせないそれとの生活」という側面を重んじている記録、その両方があって安定性には欠けています。 / さっ、と始めたのだから起こることも予想出来る不安定さではあります。 /

 いくら予想出来たとしても、やはりやってみないとわかってこない部分はあるものです。 / 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという昔のドイツの偉い人の格言がありますが、この格言に危うさを感じてしまう私もいるということ、否定しがたいところです。 / 私はこの格言においては愚者の方である要素が多いです。 / とはいえ賢者が歴史から学ぶという行動原則を格言から知ることによって歴史を学ぼうとしても賢者にはなりえないのではないだろうか、という疑問を私は拭えません。 / 賢者でありたいという欲求と賢者として存在することは決して等しくないと感じます。 / なぜ人は賢くあらねばならないのか。 / いえ、文章の主語を「人」などの形で一般化出来ていればまだ良い方だと思えてしまうのですが、なぜ私は賢くあらねばならないのか、という問い自体がこの格言の中では書かれていない重要な点なのではないか、と感じます。 / さて、このようにお酒というガソリンが入ってしまった瞬間から構成してみた内容から逸れて思考が膨らむ私です。 / そんな私が日々記録をするということが、そしてその記録がただ単なる日記ではなくこうして他人に読まれること、そしてよりにもよってここ12年間誰にも預け渡すこともなく忘れながらも自分の中に隠し続けていた筆舌し尽くせないそれに関する記録である、という私の心模様なわけです。 / 「適当」という言葉が自分自身の中に落とし込めないのは全く不思議ではないのでした。 / こうして書き終えた後に書いているときの自分が呼吸を止めて書いていることが多いことを思い出すくらいには、異常なことなのでした。 /// 2112

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?