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キノハノ ヲチタ
カキノキニ
オツキサマガ
ナリマシタ(實りましたの意)
(大正十一年十一月 六歳)
「無題(カキノキ)」は、田中千鳥がはじめて書いた詩です。
「け む り」
ばんかたの空に
ぽつぽと
き江てゆく
きしやのけむり
(大正十三年八月八日夕 絶筆)
「けむり」は、千鳥が亡くなる前 七歳半で最後に書いた詩です。わずか二年ほどの間に、七十余りの詩や作文、日記などを書き残して消えました。
さて、この詩を読んで皆さんは何かに気づきませんか?
そうです。カタカナで書き始めた詩が、絶筆ではひらがなに変わっていますよね。実は、明治時代の初めから大正、昭和の半ば一九四七年まで、子供たちが学校で習う最初の文字はカタカナでした。
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文字が曲線のひらがなより、直線で書かれたカタカナのほうが書きやすくお手本にしやすいというのが理由だったようです。大正十年 国語の教科書にひらがなが登場するのは二年生なかばからのことでした。
今から百年前、日本海・山陰の浜辺の村に生きた一人の少女の詩から教えられること・気づくことは少なくなさそうです。どうですか、「田中千鳥の詩」を読みながら、しばらく一緒に「時空旅行」してみませんか。遠くても意外に近く、小さいけれど思ったより大きいかもしれません。
[彼女の詩文のすべては HP「田中千鳥の世界」で公開、読むことが出来ます。]