成功だけがいなフリじゃない
いなフリを終えて2年ちょっと、受講前と変わらず私はお金がない。
いなフリに参加するより半年前、パート社員として5年弱働いた地方新聞社を退職。以前、フリーランスでHP制作(古っ)をしていたこともあり、職業訓練を受けて知識のブラッシュアップを図ることにした。
しかし、近くの提携校の授業内容は帯にもたすきにも短すぎ。これで仕事ができるとはとても思えなかった。もともと移住希望だったこともあり、全国に広げて学校を探す。
その中で「一番実戦的」と思ったのが、いなフリ(さばフリ)だった。
私が住んでいたところからそう遠くない、福井県鯖江市での開催。合宿は無理だったのだが、問い合わせると通いでもいいとのこと。さっそくなけなしの貯金をはたき、参加することに決めた。
統括は、森一貴。知る人ぞ知る、ローカルプレイヤー。(この呼び名は絶対にいやがられるやつ)
メンター講師は、くろぽん(ぽんって何?)こと黒田くんをはじめ、みやち、しおりん、なおさん。そしてごはん担当のゆうとくんと、当時は何をしてるのかわからなかった、のんちゃん(のんちゃんみたいに人と人、人と場をつなぐ人になりたい!)。
同期は9人で、うち8人が福井県外からやって来た。りからい、しおち、なみみ、くまけん、むっちさん、ぞのくん、みずた、どんちゃん、そして福井県内から参加のまろちゃん。
2019年5月20日、16人の合宿組と通いの私、総勢17人による「田舎フリーランス養成講座 鯖江(さばフリ)」第1期が始まった。
今現在、私はサイト制作には一切かかわっていない。
かといってライターを名乗れるほど、ライティング案件を受注してもいない。ランサーズでは認定ランサーとなっているが、受注数はたった11件。それ以外にいなフリつながりでいただいた案件もあるが、卒講後2年以上経つとは思えない実績だ。
今でもコーダーになりたい(戻りたい)欲がないわけではない。ライターとしてあこがれる存在もいる。
だが、そのための努力は一切していない。
さばフリ中、コーディングの勉強をしたかったけれど、担当メンターにコーディングは向いてないからライターを目指すように言われた。年齢的なものを考慮した上での助言だったと思う。
書くことはきらいではなかったので、とりあえず一度ライティング案件をやってみることにした。が、クラウドソーシングで案件をとるために、自分を過大広告することがどうしてもできなかった。
新聞社にいたけれど、私は記者ではない。届いた情報を確認し、それをまとめて原稿に仕上げるだけ。それで「ライター歴:4年」などと書くのは私の倫理観に反する。
けれど毎日の夕会で「もっと案件を取るよう努力するように」とプッシュされる。もう、やりたくない。私はコーディングの勉強をしに来たのに。
結局、最初の2週間で挫折。午前中の講座は参加しているけれど、資料を保存しておしまい。午後は、何をしていたんだろう。
たしかライター講師のしおりんが、自分は小商いをしていると言ったことがきっかけだったような気がする。元パティシエのしおりんは、いなフリでお菓子をつくって売り、それを実績とした(という話だった、たぶん)。ああ、いなフリってそういうこともできるのか。
もともと料理が趣味だった私は、受講生相手にコーヒー屋さんを始めることにした。知り合いの自家焙煎コーヒーのカフェへ行き、コーヒー豆を購入。毎朝、みんなが来る前にコーヒーをいれ、保温ポットに入れておく。1杯100円。お釣りを入れた投げ銭入れを一緒に置いておいた。
今も昔も変わらず、私には商売の才がない。100g 650〜800円の豆を使い、器具も一から買っているというのに、1杯100円。しかも買ってくれるのは、統括のモリと時たま受講生が2〜3人。当然、赤字だ。
3週目の金曜を迎えたとき、モリから「来週、ランチ出してみない?」と言われた。もともと料理が趣味だったので、渡りに舟とばかりに乗ってみる。
ランチもまた、大赤字。
ランチを始めたのは、さばフリ最終週のこと。私以外の受講生たちは寝る間もないくらい忙しかった。当然、ごはんをつくる時間も惜しい。日に日にランチ希望者が増えていく。
そんながんばるみんなに、お腹いっぱい食べてもらいたい。おいしいコシヒカリとたっぷりのお肉、そして副菜の野菜料理。得意のショウガ焼き(オリジン弁当風)、ビピンパプ、あとは何をつくったっけ。
毎日朝会で希望者に手を上げてもらい、朝会終了と同時に外へ飛び出していく。10時すぎに戻り、仕込みを始める。ひとり暮らしは長かったけれど、4人分以上をつくるのは初めて。たくさんの量に四苦八苦しながら12時半を目指して調理する。
「本当に400円でいいんですか?」
「たぶん、足りると思います」
なんとなく材料費を人数分で割った金額を徴収する。後日、確認したところ、全然足りてなかった。どうして足りてると思ったんだろう。
これは2日完徹してつくった事業計画書の一部。
お惣菜とコーディングを組み合わせてお金を稼ぐと書かれている。
先月から、私はお惣菜屋さんとしての活動を始めた。友人が企画したスナックのイベントでお惣菜を出し、知り合いが主催の日本酒イベントでもお惣菜を出し。今週土曜日で3回目の出店となる。
さばフリのランチは大赤字だったけれど、こっちは当日分に限れば黒字。ただし、事前の試作や調理器具などの購入を含めると、まだまだ赤字だ。あと4〜5回出店し、試作しなくてもいい固定のメニューが決まってはじめて、回収できるようになる。予定。たぶん。おそらく。そうであって欲しい。
「前回おいしかったから、今回も行きますね」
そう言ってくれる人の声に支えられ、毎回、出店するときは震えるほど怖いけれど立っていられる。失敗したものもあるけれど、次こそはとがんばれる。
さばフリのランチも最初は3人ほどだった。けれど毎回注文してくれる統括モリとメンター黒田くん(私の担当ではないが)のおかげで、あきらめずに出し続けられた。ふたりは私が企画したワークショップにも参加。私のすることをずっと応援してくれた。
ありがとう、モリ。ありがとう、黒田くん。
・生活費を稼ぐためのアルバイト
・飲食店の経験を積むためのカフェ店員
・暮らしているシェアハウス内にある本屋の店番
・お惣菜屋さんとしてたまにイベント出店
今はこの4つで生きている。ライティングはほとんどしていない。やろうと思ってはいるけれど、生活費を稼ぐためのバイトで疲弊して、全然手が出せないでいる。あいかわらずの甘ったれ。
さばフリ中も、担当メンターの言葉に飲み込まれ、コーディングの勉強をあきらめたのは私の甘え以外の何物でもない。同期たちに比べると、私はちっとも本気じゃなかったんだと思う。
今はちょっと前に出会った友人の言葉に尻を叩かれ、励まされ、救われている。その人が私を表現者として扱ってくれるから、それに見合うようになりたい。ライターという肩書はいらないけれど、文章を書くことで対価を得られるようになりたいと思っている。
これが私の野望であり、目標であり、事業計画。そして、下はさばフリ最終日に発表した事業計画の1枚目。
先のお惣菜をつくると書いたものとこれと、合わせたら今の野望とほぼ同じ。違うのは、もうひとつの稼ぐ方法がコーディングなのか、ライティングなのかというところだけ。
ずっと同じことをやりたいと思っているのだと、改めて気づいた。だったらやるしかない。今度こそ。
同期たちに遅れること2年、今度は私が寝る時間を削ってがんばるときが来た。統括モリは留学してしまい、黒田くんとは音信不通。支えてくれる人はいなくなったけれど、あのときよりは自分で立っていられるようになった。もうふたりがいなくても大丈夫。
いなフリアフターというより、私はまだいなフリ中な気がする。講座は終わったけれど、身は立てられてないから。稼ぐために参加したいなフリだが、ちっとも稼げるようにはならなかった。
けれど今の私があるのは、いなフリに参加したから。モリに出会い、黒田くんに出会い、モリハウスに移り住み(まもなくクラファン始めます!)、いろんな人と出会い、友だちができ、ひとりでも大丈夫になった。
成功譚ではないけれど、これもまた「いなフリ」のひとつの形だと思う。
(記事サムネイルの5人中3人がいなフリ経験者で、私の隣は統括のモリ)
(表現者になるという決意表明から1か月、なにもしていない…)