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不思議な家
世代のせいなのだろうか。
シェアハウスの住人たちは、ほぼ私の子ども世代。
おそらくだけど、私の世代でシェアハウスを選ぶ人は1割にも満たないのではないか。私もネコさえいなければ、同じ金額であれば県住や市営住宅を選ぶ。今でもネコと暮らせる、光熱費込み月3万円の場所があればそっちを選ぶかもしれない。
でも、私の年齢より半分くらいの人たちは、シェアハウスへの抵抗が少ない。見知らぬ他人と暮らすことをおもしろがれる。
あるいは、世代ではなく環境によるのだろうか。
以前付き合いがあった人たちから、シェアハウスという言葉を聞いたことはない。ひとり暮らしがキツイと言いながらもアパートで生活していた。
ここ、シェアハウスに暮らしている人たちは、とてもゆるい。
所有意識もゆるいし、テリトリー意識もゆるい。
自分のもの、人のもの、自分の空間、人の空間、個々のパーソナルスペースさえ、共有している。どれだけシェアハウスの暮らしに慣れても、パーソナルスペースの共有だけは絶対に無理。
一緒にいて気にならない人たちで集まって、それぞれできることをして一緒に生きることを目指したいと思う。思うけど、絶対に自分の部屋は必要。かつ、ひとりの時間も必要。
やっぱり、ゆるくともに暮らすのは、無理かな…。
テリトリーを曖昧にはできない。
人を信じられるかどうか、なのだろうか。
確かにここに住んでいる人、訪れた人の6~7割は善人の部類に含まれる人たちだった。1割くらいは全く信用できない、というか不安をかき立てられるタイプの人たち。
そういう危険な人たちにも、ここの住人たちは特に壁を設けない。見えない壁はあるのかもしれないけれど、私のように明確な壁を見せつけたりはしない。曖昧に相手をしているとしても、相手はする。私はしない。
ゆるくともに暮らせるようになるまで、まだまだ私には修行が必要だ。
あるいは、ゆるくともに暮らせる人に出会っていないのか。暮らせる人と出会えば暮らせるようになるのだろうか。
だとしたら、その人、その人たちはどんなだろう。
たぶん、こじゃれてなくて、流行にうとくて、すてきっぽくない。そういう人が好き。そういう人といると楽。
すてきっぽいことに興味ないけど、美術や芸術にくわしいといいな。図録の見せ合いっことか、好きな彫刻家のおしえあいっことかしたい。
勝手な妄想が広がっていく。
でもたぶん、信頼できる人であれば、それだけでいい。それだけは必須。
誰でも、どんな人でも、どんな人かもわからずに受け入れるここは、ここの住人たちはすごい。私ですら「いていいよ」って言うのだから。
だから人が集まってくる。
出ていってもまた戻ってくる。
ここがゆるく、間口がない(広すぎる)のは、家主のせい。
家主が去った後、ここはどうなるんだろう。この場所に、また人は集まるのだろうか。戻ってくるんだろうか。
私は出ていくのだろうか。出ていったら、二度と戻らないのだろうか。
二度と、ここで出会った人たちと会うことはないのだろうか。
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