知恵のある人になりたい
昨夜、寒くて寒くて早くにお布団に入った。夕方、温泉に入ったからだろうか、いつもより大分早くに眠ってしまった。
朝6時、冬になってからは目覚めたことのない時間。はて、このまま起きるか、それとも、もう一度目をつぶるか。迷いながら、スマホを手にする。悪癖だな。
note を開くと、知識と教養について書かれた記事が目に入った。記事の内容そのものより、引用された辞書の言葉に胸の奥がちりっとした。毛を逆なでされたような、指先のささむけを引っ張られたような、小さいけれど嫌な感じ。
知識:広義には「知る」といわれる人間のすべての活動と,特にその内容をいい,狭義には原因の把握に基づく確実な認識をいう。
教養:精神文化一般に対する理解と知識をもち,人間的諸能力が全体的,調和的に発達している状態。教養の内容は,その所有者が存在する社会の文化によって異なる。
(参照元:コトバンク掲載のブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)
辞書をつくるのが難しいことは、三浦しをん著「舟を編む」を読んだのでわかっている。自分自身、仕事で言葉を説明したり、言い換えたりするときにしょっちゅう壁にぶち当たる。だから、これは難癖といえなくもないのだが。
気に食わない。特に「教養」の説明が気に食わない。
これは国語辞書ではなく、百科事典だからなのだろう。百科事典を読むような人をターゲットとして書かれているから、平易に解説していないのかもしれない。
その上であえて書くと、この説明を読んで「選ばれしものによる、選ばれしものに対する解説」という排他的な印象を受けたのだ。(ほんと言いがかりとしかいえないでしょうけれども)
「精神文化一般に対する理解と知識」なんて、「はい、持ってます」と手をあげられる人、いるの? 「人間的諸能力が全体的,調和的に発達している」と思ってる人、いるの?
ちなみに私は、どっちも「はい」とは言えないです。だって、広く浅い知識はあるけど、「精神文化一般」について「理解」と「知識」を持っているとは到底思えない。なんとなーく知ってるかも?くらいなもん。しかも「知識」って「狭義には原因の把握に基づく確実な認識」って言われてしまったら、私の広く浅い”知識”も「知識」と呼べない。広く浅く知ってるかもーってなっちゃうよ。
もし大手を振って「はい!」って言える人いるなら、会ってみたい。そしたら「知識」と「教養」についてはっきりと理解できるだろうから。
たぶんだけど、知識と教養って、大学教育を受けてればとりあえずある、って扱いなのではないかと。一応、一般教養科目なんてのも授業であるわけだし。
という前提で話を進めると、大学教育を受けた人は知識と教養のある人。大学教育を受けた人は「人間的諸能力が全体的,調和的に発達している」って言ってんのか? 大卒は「人間的諸能力が全体的,調和的に発達している」って?
うわー、言いがかりもほどほどにしないとね、私。
でもね、そう感じたわけですよ、知識と教養についての説明を読んだときに。そして、「人間的諸能力が全体的,調和的に発達している」>「「人間的諸能力が全体的,調和的に発達していない」という図式も見えた。
大学など、高等教育を受けた人>中卒、高卒。
まあ、一般的にそう思ってる人多いよね。
成績のいい人、大学進学した人、東大京大卒者、医者弁護士官僚、そういう人たちを「頭がいい」「賢い」って言う。
一方、進学校へ進まない人、成績のよくない人は「自分は頭が悪いから」って言う。よく言う。
もし、知識や教養のある人=いわゆる「頭がいい」「賢い」といわれる人であるなら、私は知識や教養のある人にならなくていいや。
ものすごく極論だと承知の上で。
私のYouTube登録チャンネル数は約50。その中でよく見るのが、ハイサイ探偵団でありはまちゃんであり、釣りよかでしょう。、SATAbuilder's 。
4組のYouTuberに共通しているのは、自分(たち)で工夫してものづくりをすること。庭の木にツリーハウスをつくったり、土間打ちを自分たちで行ったり、家具をつくったり、床をはったり、ガレージをつくったり、バイクをレストアしたり、ハイエースの内装を替えたり。家をつくる以外はしてる。あ、釣りよかは今、許可範囲内サイズでサウナ用の建物を建てようとしてるし、その前にでかい門つくってたな。
みんな、「こんなことやりたい」と思ったら、調べて、あるいは自分の過去の経験を生かしてやっちゃう。失敗したら、また調べて、あるいは専門家に聞いたり、経験ある人に聞いたりして、なんでもつくる。
たぶんこの4組の中で大卒は半分以下、いや1/4くらいだろう。土建、建築、工場勤務、電気屋、塗装、ハウスクリーニングなど、いわゆる知的労働ではないことをしてきた人たち。いろんな仕事を渡り歩いて身につけたもの、趣味を突き詰めて身につけたものをフル活用している。
いわゆる「知識」と「教養」はないかもしれない。
でも、彼らには「知恵」がある。
え、どこでこんなやり方知ったの? プロじゃなくてもここまでできるんだ!
そんな驚きの連続。
私もいつかセルフリノベしたいと思っているので、勉強になるなる。家具もつくりたいし、自分で車もいじりたい。
生活する上で、生きる上で役に立つ知恵が欲しい。
たぶん私は知識や教養は書物の中にあるもので、それを読まないと手に入らないと考えている。一方、知恵は体験に基づくもの、実践して体で覚えるものだと思っている。
知識や教養も身についているだけでは意味はなくて、実践することが大切なのだろう。あるいは、知識や教養を実践して得られるものが知恵なのかもしれない。
知恵のある人は賢い。たとえ学歴が低かったとしても。決して「頭、悪い」なんてことはない。
表向きの知識や教養、学歴などいらない。
欲しいのは、知恵。ひとりで生き抜くことができる、知恵のある人になりたい。
~補足~
だからといって、本を読まないということではなく。
でも、私が本を読むのは知識が欲しいからというより、自分の中にたまっているもやもやしたものに輪郭を与えるため。かな。
あと、心の調整のため。自分では経験し得ないことを追体験して、感情をうねらす。映画と同じ、エンターテインメントのひとつ。
ま、そもそも高校卒業から大学入学まで4年ブランクあるし、結局中退したし、こんな言いがかりのようなこと言ってるし、私には知識も教養も学歴もないんだけどね。
知識や教養の方で「こっちこそ願い下げだ」と言ってそう…
トップ画像は、シェアハウス住人が廃材で本棚をつくっているところ。
家具づくりの勉強をしたことある人と、DIY初心者だけど自分で図面書いて形にしようとしてる人。
結果、とてもすてきな本棚が完成。まじ、尊敬。まじ、あこがれる。
ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす