利己的な私
RENEW期間中、いなフリ@鯖江2期生や同期(1期)、私のときの地域マネなどがやって来た。
駅への送迎、釣りへの行き帰りなど、ちょこちょこ話した。
どうしてるかな。
なにか困ってないかな。
悩みごとはあるのかな。
誰かに聞いて欲しいことあったりする?
つらつらと聞くでもなく聞いて欲しかったりする?
言えずにいたことを吐き出したい?
そんな感じで話をする。というか、聞く。
親切半分、データ収集半分。
私は人の気持がわからないので、いろんな人の話を聞いてデータを集める。そうして「こういうとき人はこんな気持ちになるんだ」「こんな気持からこういう行動をとるんだ」と知る。
データを集め、人を知る。
聞きながら「それってこういうこと?」「こういうときこんなだって聞くよ」と、さらに話を掘り進める。
最後に送ったひとりに「車だとふたりとも前向いてるから、話を引き出しやすいですよね」と言われてしまった。
根掘り葉掘り聞くつもりはないのだけれど、聞いてどうすることもないのだけど、聞いてしまう。
でも、データ収集だけでもないのかもしれない。
もしかすると、人の悩みや愚痴を聞くことを、自分自身の問題から目をそらすのに利用しているのではないか。
人のことを聞いて、そっちに気を取られていると、自分のことは考えずに済む。見たくないものを見ないで済む。考えたくないことを考えずに済む。
だから、私は人の悩みを聞き、どうにかしたいと思っているのかもしれない。
以前、自己理解の相談をしたとき、「人を救うことで救われたいと思っている」と言われた。
そうかもしれないと思っていたけれど、自己中心的に自分から目をそらすために利用しているという方がしっくりくる。
人のためになにかをしたいと思うタイプではない。いつだって、最優先するのは自分。自分の気持ちが大事。そのためには、人のことなんか知ったこっちゃない。
そんな私が、人を救いたいと思うだろうか。
いやまあ、自分を救うために、人を救うのだから、自分のためではあるか。
たくさん人の話を聞いたけれど、聞けば聞くほどみんな、いろんなことを考えている。半分ほどの年齢なのに、たくさんいろんな経験をし、いろんなことを考え、悩み、もがいている。
私は、空っぽ。
人生経験は少なく、少ないことを恥じているけれどだからといって増やそうともせず、考えること、悩むことから逃げ、もがきたくないとあがいている。
そんな私に、誰かを救うことなどできない。というか、そもそも人に人は救えない。私の百倍すばらしい人間であったとしても、誰のことも救えない。
そっか、救えないし、救おうとも思ってないし、自分が救われたいだけ。
それが、私。
でも、自分のことを救えたら、それでいい。
人を利用する人が嫌いだけど、自分がそうだから嫌いなんだな。と、ふと早起きして気づいた。