2021年元旦に思うこと
年末年始、バイトをしている。久しぶりのリアルな仕事で、久しぶりに世間一般と接している。
その中で感じたこと。
世間では、マスクをすることと手指の消毒が身についている!
買物には行くので、世間一般でマスクをしていることも、お店の入口で消毒する人がいることも知っていた。
けれど、こんなにも”身についている”とは。
3歳くらいの子どもが
「手を出して」
と親に言われると手を出す。そこにジェルが垂らされると、コシコシと手にジェルを塗り拡げる。
「マスクするよ」
と言われると、自分でマスクを耳にかける。
子どもが、自分で。
マスクをどうやって着けるのか、手に受けたジェルをどうするのか、知っているのだ。
次から次へ、やって来る人たちがマスクを着けているとは、消毒するとは、思ってもみなかった。いやー、驚いた。かなりの衝撃。
ここまで自分と世間との間に差が生じているとは、正直、思っていなかった。
マスクと消毒が日常に溶け込み、歯を磨くように習慣化されている。当たり前、当然、そんなレベルじゃない。
自然。そう、自然に行っている。「しない」という選択肢を選ばないのではなく、選択肢すらない。というか、選択という言葉もない。選択の余地がないのではなく、選択するという行為が存在しない。そんな感じ。
こんなに素直に、逆らわずに聞くとは、お上も思ってなかったのではないだろうか。これほど統制がとれるとは、うれしい誤算であろう。お上にとって。民衆の扱い方をひとつ、学んだに違いない。
恐ろしいことだと、私は思う。
この先、お上の意向は通りやすくなるだろう。聞く耳を持ってしまった大衆はコントロールしやすい。あっち行くぞ、こっち行くぞ、あっち行っちゃダメ、こっち行っちゃダメ。あっち叩け、こっち叩け。こっち見るな、あっち見とけ。
この先には、なにが待っているんだろう。今年は、終わることができるんだろうか。
くすんで不透明な一年が始まった。