線を引く
他者との間に線を引くことが苦手だ。この場合の「線を引く」は、私とあなたをさえぎるためのものではない。私が、あなたをあなたとして認識するためのもの。
私はだらしない性格で、非常に大雑把。大体、まあまあ、適当な感じで何事もやりすごす。そんな感じなので、常に何事も曖昧。そのせいか、自分と他者との境目もあるようなないような、ぼんやりとしている。
いい意味だと、共感力があり、人のことを自分のことのように憤ったり、大切に思ったりできる。好きな人だったり、どうにも理不尽なことがあると、戦いに馳せ参じる。他人事でも自分事のように考えられる。
いいことのようにも思えるが、言い換えれば他人を自分と同一視してしまっているということ。
昔から人間関係は不得意だった。人との距離をうまくとれない。すごく遠いか、近すぎるか。
そもそもが人見知りなので、初対面ではうまくコミュニケーションがとれない。初対面で距離を感じたら、それ以降も距離は縮まらないまま。
相手が人懐っこく、積極的にコミュニケーションをとる場合は、当たり障りのない会話ができる。あるいは、仕事のように割り切ってしまえば、事務的に会話を成立させることもできる。その後、共通の話題があればなんとかその後も話せるくらいの距離感でいられる。
問題は、最初から無理しなくても会話が成立するとき。まれに、相手のコミュニケーションスキルが高かったり、たまたま共通点があって話題がうまく転がっていったりすることがある。私にとって会話はエクスタシーだ。どんどん広がっていく、無理をせずとも転がっていく、自分の世界が拡張していくように感じるとハイになる。楽しくて楽しくて、会いたくて 会いたくて、話したくて話したくてたまらない。
そして、距離を詰めすぎてしまう。話して、その人のことを知れば知るほど身近に感じる。感じたまま、一歩、また一歩と詰め寄る。多くの人は、相手の様子を見ながら歩を進めるのだと思う。自分から一歩、相手も一歩、互いに相手を見ながら、互いに近寄る。私は相手がこちらに歩み寄ってるかは考えない。だから、最初にふたりの間にあった真ん中を、私の方から踏み越えていく。
そうやって、私は相手に近づき、自分の輪郭の中に相手を収めてしまう。相手が知らぬ間に。相手の了承も得ずに。
そして勝手に自分事として、相手のあれこれに口を出し、相手が理不尽な仕打ちを受けてると感じるとどうにかしたいと余計な世話を焼き、挙句の果てに相手の優しさに甘えてしまう。そこに相手の考えや気持ちは不在。
なんと厄介で迷惑な存在!
共感力など、表向きのものでしかない。究極の自分勝手。逆に自分が同じようにされたらどう思うか、想像できないのか。そこを自分事化できるようになれ。
きちんと自分と他者との間に線を引けるようになりたい。適切な距離をとって接せられるようになりたい。
私は私だけ、あなたはあなた、あなたは私ではない。私とあなたはそれぞれである。
自分がしていることがよくないとわかっているから、きっと可能性はあるはず。まだ遅くない、修正できると信じたい。
そのために、まずは一歩後退しよう。近づきすぎた人から離れよう。
だってそのくらい好きで大切ということだから。背を向けられる前に、なんとかしたい。もう遅いかもしれないけれど。できるだけのことをしよう。