ともにおこなう(協働についての私見)

「みんな、一緒に、やろう」が嫌いだ。組織や集団に交じるのも苦手。なぜなら協調性がないから。合わせることができない。
 それでも50年も生きていると、それなりに歩を合わせているように見せる術を身につけた。と思う。それなりに我慢して、合わせる。ふりをする。
 考え方としても「みんな、一緒に、やろう」は嫌い。別にみんなでやる必要なくない? 一緒にやる必要ある? 全体目標を定めたら、それぞれがそれに向かって自分のできることをやればいいじゃんか。
 みんなで一緒にやる楽しさが、まったく理解できない。一緒に頑張る仲間がいるから、自分も頑張れる。とは思わない。人がどうであれ、やると決めた以上は自分の役割を全うする。それだけ。誰かのためにやるのではない。ただ、自分が役割を果たさないと、そのあとに続く人が困るであろう。全体の進行に遅れが出る。だから、期限内に自分の分を終わらせる。以上。

 やりたいことややろうとすることがあるとき、誰かとともにおこなうのは効率的だ。自分にできないこと、自分に足りてない部分を補い合う。ここは私、あそこはあなた。そっちはお互いに得意だから、一緒に注力して強みとしよう。
 ひとりではできないことを、誰かとともにやることで可能にする。
 おや、先に述べたことに反するではないか。そう思うでしょ? 違うんだな、これが。

「みんなで、一緒に、やろう」には「(仲よく)」が隠れている。共同体として、ひとつにまとまる感じ。手を取り合って笑い合って進むイメージ。うーん、無理。手をつなぎたくない。
 私が言う「誰かと一緒にやる」に「(仲よく)」は必要ない。手を取り合うこともしなくていい。目的を同じくするのであれば、ともに進む方がメリットがあるんじゃないの?ってこと。
 かっこよくいえば、ティール組織みたいな? ティール組織が何なのか、知らないけど使ってみる。
 個々、独立している。それぞれの目的を照らし合わせる。似ているとか、掛け合わせるとおもしろそうとか、そういう目的のつながりを感じる人と「Deal? 」「Deal. 」と握手をする。アメリカのドラマや映画でよく見かけるシーン。

 その人を好きになる必要はない。倫理的に合わないと感じる人とは無理だが。仲よくなろうとしなくていい。プライベートも共有しなくてOK。
 ただ、一緒に目的に向かう以上は自分の役割を全うする。いや、まずその前に、自分の役割を明確にしなくては。ゴールの設定ができればいいけれど、ゴールは置いておいて目的を互いに確認する。あ、私は結果より過程重視派なのです。
 ゴールは、たどり着いたら次のゴールをまた設定しなくてはならない。そして、それぞれのゴールが異なるとき、どうやってともに行動する者同士のモチベーションをすり合わせるか。けっこう難しい気がする。
 けれど、目的はたどり着くものではないから長く活動の礎になると思う。個人的見解だけど。
 目的に向かって進むにあたり、それぞれが自分の役割と役割におけるやるべきことを自認する。あとはやる、だけ。わからないことがあれば、ともに行動する人に相談する。兼ね合いを見て、やるべきことを変化させる。

 なんてことを思うのです。誰かとともに、何かをしたことはないけれど。そんなふうに誰かとともに何かをしたいと思うのです。
 誰か私に「Deal? 」と言ってくれないかなぁ。

  

  

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タナカアキ
ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす