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ワタシノトリセツ
ふと、掃除をしながら「私の取説ってなんね?」と思った。
掃除やネコのトイレを片していると、頭のすみっこに掃き残しの砂のように残っているもの、ザラッとしたものに気づく。掃除だけに。
いなフリつながりのシオンくんがトリセツ作成サービスをする、とか誰かがサービス利用しました、とかツイートしていたのが残っていたと思われる。
そして、シオンくんのトリセツ作成サービスは、「なんね?」と思ったのはちょっと違うことが判明。
いや別にシオンくんにイチャモンをつけようと思ったのではない。ではないし、私の勝手な解釈によるシオンくんトリセツ作成サービスはありだった。ほんとに。
私が思っていたのは、
・私はこんなことが苦手です
・私はこんな人が苦手です
・私はこんなことをされると泣いちゃいます
・私はこんなふうに考えがちです
・私はこんなものが好きです
・私はこんなものに囲まれて生きていきたいです
みたいなもの。
「私ってこんなニンゲンだから、私と接するときはこうしてね」
そういうトリセツを作るのは、どうだろう。と私は思う。とつけて免罪を図る。わけではなく。
人それぞれだからいいのだよ。
でも私は、もし「これ、私のトリセツなんで」と渡されたら「え、いらない」と答える。
だって、トリセツを作るのが人間関係というものなのでは?
その人が今までどんなことをしてきて、そのときどんなふうに感じて、どんなものが好きで、どうして好きなのか、どうして嫌いなのか。どんなことを日々考えてるのか。どんなことに興味があるのか。私のどこに興味を持って、今こうして話しているのか。
そういうことを知っていく過程で、人は人と親しくなる。はず。たぶん。
そして、その過程がふたりの関係性を作ってゆく。はず。たぶん。
少なくとも私は、そうやって人を知る過程にわくわくする。
好きな人、興味がある人だと、どんどん情報がたまっていく。話をいっぱい聞くから。よく見るから。
一方、興味が持てずに話を聞かなかったり、相手が話したことが消えていくことも、人によってはある。
興味がある人だと、小耳に挟んだことすら記憶に残る。だから本人が「え、こんなこと話したっけ?」ということもしばしば。
家主が「ハヤシライスが好き」と言ったことを覚えていて、なにかあるとハヤシライスを作る。とか。
「お魚が好き」と言う人のために、釣った魚を煮付けて出す。とか。
ブロッコリーを食べる人に、出先で買って帰る。とか。
ケン・モリは頭と喉元をなでられるのが好き。とか。ネコの話ね。
自分からトリセツを出されても、その人に興味がなければ読まないし、興味があるなら自分で探りたい。私がわたし用にその人のトリセツを作る。
そして、自分で作ったトリセツは「私がして欲しいこと」にまみれてる気がする。想像だけど。
求められても困る。
つか、求める?
してあげたいと思うからする。
して欲しいと言われたら、してあげたい気持ちが減る。
もちろん、助けが必要なときは別。あるいは、事務的な話は別。
それに、本当の地雷は記さないはず。
本当に触れられたくないこと、本当に受け入れられないことを人に簡単にはおしえられない。
一方、私が想像していたシオンくんのトリセツ作成サービスなら、シオンくんという他者の目が入る。
客観的に見るから、地雷付近のことを記せる。自分で作るより実用的。
でも、シオンくんが行っている本当のトリセツ作成サービスは別物。たぶん。
説明を読む限り、他者にむけてのものではなく、自分で自分を理解するためのものを作るのだと思う。それは必要な人、いそう。
もし私のトリセツをご所望の場合は、自身で作成してください。
あけっぴろげにしているようで、私の塀は高く厚く、門は閉ざされていますけど。
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