私を救いたい
テリトリーの中に、小さな優しい世界を持っていたい。
私の思う「小さな優しい世界」とは、人が人を傷つけることなく、自分を傷つけることなく、好きが連鎖している世界。
昨夜、「なぜみんなが幸せになることができないんだろう」とこぼした。またしても悪酔いしてたら、たまたまそこに大きな心を持つ知り合いが現れ、相手をしてくれた。
タナカアキになってからプライベートでお付き合いのある人たちは、9割方よい人たちだ。自分の利益のために人を利用することはない。自分が持っているもの、ごはんのおかず、おやつ、洗剤など物理的なものから、愛情や時間といった目に見えないものまで、分けっこする。自分だけでなく、身近な人やその場にいる人たちみんなで満足しようとする。
実はそういう行動の一部は私には面倒くさい。「みんなで、一緒に、やろう」というのが、どうしても肌に合わない。ひとりでふらりと参加したり、しなかったり。でもそんな集団になじまない私もいていい場所。
昨夜は酔っ払いすぎて、今まで誰にも言ったことのない話をしてしまった。いや、このところタガが外れぎみで、思っていることをいろいろと口外してしまっている。
基本、私は自分のことを話さない。経験や考え、感情は話すけれど、それらにまつわる私の気持ちは誰にも話したことがない。なのに、昨夜は話してしまった。それもかなり私の根幹を成しているものを。
ここでは秘するが、その気持ちゆえ、私はいつか自分は破滅すると思っている。というか、破滅志向にある。願望ではなく志向。破滅したいわけではないはずなのに、選択するとき、リスクが高いものを選んでしまう。それは高リスク高リターンを狙ってるわけではなく、谷底に落ちるかもしれない危険性に惹かれているのだ。
私はそれでいい。でも、私以外の人たちには幸せであってほしい。「幸せはその人が思うもので、人によって異なるよ」と、たった今、友だちに言われた。
それはそう。でも、破滅が幸せでないことは確か。それは言葉の上でのことではなく、私が実感していること。どうしようもなく破滅に惹かれているけれど、平和な日常をすごしたいとも願っている。ただ私というパズルに抜け落ちているピースがあって、そのせいで平和は訪れないとあきらめている。
たぶん同じように破滅することがわかっていても、そちら側を選んでしまう人はいる。私の知り合いの中にも。でも、できることなら平和な日常を選んでほしいと思う。私自身、本当に破滅したことはまだない。その先がどうなっているのか知らない。戻ってこれるのか、これないのか。わからないから、一線を越えないでほしいと願う。
破滅へと進もうとしている人を見ているのがつらいのは、おそらくそこに自分を重ねているから。私自身の奥底に、破滅に抗う気持ちがあるのだと思う。どうしようもなく破滅に惹かれる自分を救ってほしい、救われたい。
私が本当に破滅に向かったとき、止めてくれる人はいるだろうか。
破滅に向かう人に手を差し伸べる人がいる。その人のことを好きと思う人がいて、その好きと思う人を好きと思う人がいて。破滅したら、手を差し伸べた人が悲しむ。私が手を差し伸べた人を好きだったら、悲しむ姿を見たくないと思う。だから、破滅に向かう人を止めたいと思う。
そんなふうに好きが連鎖していれば、それはひとつのセーフティーネットになるんじゃないだろうか。誰かが誰かを思いやる。直接つながっていなくても、間接的に思いやりの手が差し伸べられる。
そんな関係の中に、私もいられたら破滅せずに済むかもしれない。いつか破滅に惹かれることもなくなるのではないか。
私には願うことしかできないけれど、タナカアキの知り合いはみな、平和な毎日をすごしてほしい。苦しいときには、小さな優しい世界に身を置いて深呼吸。ずっと逃げ込んでいることはできないけれど、一息つける場所があると思うだけで楽になれる。
そして自分を好きだと思ってくれる人がひとりでもいる幸運に気づきたい。好きは最上の褒め言葉。「そのままでそこにいていいよ」という合図。
もし小さな優しい世界も好きだと思ってくれる人も見失ったら、タナカアキのところにやってきて。一緒に思い出そう。探そう。
私は私の知り合いみんなが幸せであってほしい。私が幸せであるために。
ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす