やりたいこととは
私の適性はアシスタントにある。ある人の仕事ややりたいことを行うとき、メインとなること、あるいはその人がもっとも力を発揮できることに注力できるよう、それ以外の雑務を一手に引き受けることが得意だ。けっこう雑な表現だが。
たぶん、その人がやるべきこと、やりたいことを見抜けるし、それをするための道程も見えるし、そのために必要な雑務も手順もなんとなくわかる。その上で「それ以外」を抽出し、スケジュールに合わせて片付けていく。そういうことが得意。
その場合、アシスタントとしてつく人物に思い入れがあれば、より実力以上を発揮しようと努力する。そうじゃなくても、仕事であればどこまでもやる。
たとえアシスタントとしての私が評価されなくても構わない。できればついた相手が評価されたらうれしい。
私が、今一番目指しているのは、私の近くの人たちが笑っていられるようにすること。私には我が家主のように社会を変えたいという気持ちも、変えられる力もない。別な方法、ミニマムな糸口から、私ならではの切り口でアプローチしたいと思っている。
笑ってくれればいい。私を好きになってほしいわけでも、感謝してほしいわけでもない。「ありがとう」と言われたいわけでも、私の仕事ぶりや存在をアピールしたいわけでもない。
私は私にできることをしたいだけ。できることをした結果、私が好きだと思う人たちが笑ってくれたらうれしい。
アシスタントとして実力を発揮するのも、みんなに笑ってほしいのも、すべては私のためだ。
アシスタントとしてついた相手が本来の仕事に集中できたとき。仕事で結果を出せたとき。みんなが笑ったとき。私が満足する。
そう、私は私の満足感のためにするだけ。誰のためでもない、私のため。
ある人は「自分にはやりたいことがない。だから、誰かのやりたいことをやれるようにする」と言った。「それが、あなたのやりたいことでしょう?」と言うと「いや、そうじゃなくて」と否定する。
たぶん、同じだと思うのに。私はやりたいことがない、なんて言わない。だって「誰かのサポートをすること」がやりたいから。そして「誰かのやりたいこと」を手伝ったとき、私は満足感を得る。「自分にはやりたいことがない」と言ったあの人は、「誰かのやりたいこと」がやれたとき、満足感なり、うれしさ喜びを感じないのだろうか。逆に、感じないのにやるとしたら、なぜなんだろう。
私はいつだって、私のために人のことをする。それが私のやりたいことだから。私が「やってよかった」と思えることだから。
だから私はこの先も、ごりごりのアシスタントを目指す。