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「弁造さんのエスキース展」
今日はどうしても見たかった展示を見に行ってきた。
会場のわおん書房は私にとっての鬼門。できれば足を踏み入れたくない場所。
なぜなら、欲しい本がいっぱいあるから!「あ、これ欲しかったやつ!」ということもあれば、「え、これ知らんけどおもしろそう!」ということもあり、毎回数冊購入してしまう。
今回も料理本2冊、短歌の本、フォントの本、計4冊6800円購入。来月のAmazonの分がゼロになってしまった…(毎月Amazon予算5000円)
見たかったのは「弁造さんのエスキース展」。
北海道で農業を営んでいた弁造さんは、画家になりたかったけれど事情があって断念。死ぬまでエスキース(習作)を描き続けた。完成したのはたった1枚だけ。
奥山さんはそんな弁造さんの日常を取り続けた。絵筆を握りカンバスに向かう姿、畑で作業する姿、なんでもない笑顔、疲れた様子、家の周りの風景。
「弁造さんのエスキースは、僕に今も『弁造さん』という他者の人生に触れることの意味を問う」
「自分の人生からではなく、他者の”生きること”に触れることでしか得られないものが、この世界にひっそりと息づいているのではないか」
会場が狭く、絵との距離が近い。なので、まずいくつかあるキャプションをすべて読み、それから距離をとって絵を見ることにした。
最後のキャプションにあった「他者の人生に触れることの意味を問う」。この一文にやられた。
私がしたいインタビューも、他者の人生に触れること。その意味を問われたら、私はなんと答えるだろう。ひとりの人の人生を見つめることの重さみたいなものを感じた。
弁造さんのたくさんある絵の中から、今回は会場の大きさに合わせて奥山さんが考えた組み合わせで作品が展示されているのだと思う。
多いのが、髪を触る女性。そして、女の子と母親らしきふたり。髪を触ることはなにかの象徴なのだろうか。いくつかある女性に髪を結んでもらっている女の子の面影を感じるのはなぜだろう。
圧巻だったのが、奥山さんがローライフレックスで撮影した私家版写真集「弁造 Benzo」。5センチくらいの厚さのものを、1ページも飛ばすことなく見た。
人物を撮るとはこういうことなのか。人物というより、人生が写っている。弁造さんの姿がないものにも、弁造さんを感じる。
ああ、私も写真を撮るならこんな写真を撮りたい。表面だけなぞるようなのではなく。
結局私は弁造さんではなく、奥山さんの個展を見に来たような気持ちになって会場を出た。
これで明日からの一週間も頑張れる。と信じたい。
そして、脳裏に焼き付いた奥山さんの言葉を反芻しながら、これまで行ってきたインタビューをよりよい形になるよう試行錯誤しよう。私のインタビュー記事がたとえエスキースのようなものだとしても、弁造さんのようにずっと書き続けよう。
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