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戦後75年経っても変わらないもの


昨日、これからしばらく自分はこうする、ということを書いた。
書きながら「ああ、そうか」と納得できたことがある。

コロナとインフルの違いって、人の対応だけだと思うんですよねー
なんでこんなに恐れて、叩いて、騒いでるのか、実は謎
人って愚かで、愚かなことを自覚してない、自分は正しいって思い込んでるとこが怖い
ある種、WW2中に似た状態だな、と
コロナもインフルも癌も心臓発作も、なる人はなる、なるときはなる、ただの病気にすぎないんだけどなぁ
都市部からお客さん来るなとか、行った先の迷惑考えてないの?とか、そういうことじゃないんですよね〜
インフルの学級閉鎖で、「お前が学校来たからやろ」なんて責められないでしょ(いや、責められるのか!?)
それと一緒で、誰のことも責める必要ないと思うですけど、なぜかコロナだけは責める
水イボあるのにプール入るとか、水虫なのに裸足で共有スリッパ履くとかと同じくらいの迷惑度だと思うんだけどなぁ

どちらも、私の記事に対して知人から寄せられたSNS上コメントへの私のリプライ。
私の考えはここに記した2点に集約される。

ひとつは、人災だということ。
感染が、ではない。
感染自体は小さな出来事。水イボや水虫のたとえのように。
その小さな火種を人が煽って煽って火事する。それが人災。

そこに結びつくのが、もうひとつ感じたこと。
それは、WWIIのときの日本国内のようだということ。
状況を冷静に判断し、どうやら日本は負けそうだと思った人はいた。けれどそれを口にすると、非国民として集団リンチにあう。
集団の圧力は恐ろしい。
集団から外れるもの、集団と軌を一にしないものへの排斥のエネルギーはすさまじい。個々であれば、話し合って解決できたり、異なることを認めあえるのに、集団となると話は別。

集団をコントロールする人、けしかける人、先導しているつもりで先導させられている人、惑わす人。
一部の人の思惑で、集団は動く。自分は自分の頭で考え、行動しているつもりだが、実際はそうではない。

人は病気になる。人は死ぬ。
今年も去年も変わらない事実。
今年だからと特別なことではない。
予防できるのに予防しないのは、と言われたら、すべての病気を予防してるのか、と問う。すべての可能性を消すように暮らしているのか?
病気だけじゃない。事故に巻き込まれる可能性もある。
どんな可能性もすべて消すとしたら、そもそも生きていられない。

自分に人を変える力がないことはわかっている。
集団として凝り固まった偏見を溶かすことが難しいことも知っている。
だったら、私が大切にしたいものを守るために、自分の優先順位を変えるしかない。とりあえず今は。


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タナカアキ
ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす