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スキップはできるけれど
ものすごく要領が悪い。
人に好かれる要素があると、ものごとがうまく回ることがある。
そういうものを含めた要領に恵まれていない。
頭で考えて、こうした方が受け取るものが多いとか、今後、楽に生きられるとか、人間関係がよくなるとか、わかっていたとしてもそっちへ進めない。
別に自ら悪路を選んで切り拓きたいわけではない。
要領のよさは、ときにずるさを含む。
もちろん私もずるいことを、こずるいことをしてしまったりはするけれど、基本、あまりずるいことをしたくない。
正直なわけじゃない。
なんとなく自分がするのも、人がするのも居心地が悪いだけ。
運もない。
運は、ひとりひとり器を持っていて、降ってくる運は同じ量なのだが器の大きさが異なっているから運を受け取れる人、受けきれない人となるのではないか。
運がないとは思わない。
けっこう運はあった。
globe の歩き方のキャンペーンはがきを出したら、1組2名さま100万円の旅に当選したり、大好きなベジャール・バレエ・ローザンヌのダンサー(ジル・ロマン)のサイン色紙が当たったり、イタリア旅行中、夜中に道に迷ったところをイタリア人に助けられ、イタリア語で道案内され、たぶんこうかな?で歩いたらホテルに付いたり、子どもの頃はガラガラ抽選会で毎年映画チケットを当てたり、高校入試では直前に理解した数学の問題が出題されたり。
そういう降ってきた運で、もう私の器はいっぱいになってしまったのだろうと思う。
たまに大きな雨粒のような運が、器にたまった運の水面に当たって器から少しだけ運がこぼれ落ちる。
そうしてできたすき間に収まるくらいのわずかな運を、今でも享受しているのではないかしら。
要領悪くて、運がなくて、ただ器用さだけでここまで来た。
これで器用じゃなかったら、きっともっとちゃんとした人生を送っていたに違いない。
なまじ器用でなんとかなったがゆえに、道を誤ったり、道を逸れたり、立ち止まったり。あっち側との境界線を踏み外しそうになりながら、まだこっら側で踏みとどまってる。
そして自分が要領悪くて運がない自覚があるから、踏みとどまっているとも言える。
だってあっち側に行ってしまったら、戻ってくることは叶わないから。そんな要領のよさも、運も持ち合わせてないことを知っている。
器用さだけで、この先もやっていけるのだろうか。
器用さは、私の首を締めやしないだろうか。
でも、器用さは私の武器だ。
ホップステップジャンプはできずとも、スキップで小さな水たまりは飛び越える。
大きな水たまりが現れたら……
それはそのとき考えよう。
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