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昨日今日明日

 大みそかも今日でしかない。元旦も明日でしかなく、誕生日も母の命日も昨日であり、今日であり、明日。私の人生の中のただの一日だ。
 昨夜、「今夜は飲まない」という強い気持ちでいつものバーへ出かけた。その前夜、つまりは一昨日も朝5時すぎまでいたから、今夜こそは飲まずに夜のうちに家に帰って寝るつもりだった。だけど、「アキさんが好きだと思って」と友だちが開けたワインにつられ、つい飲んでしまった。
 一昨日、お惣菜屋としてイベント出店していたときに、顔を出したバー店主である友だちから厳しいダメ出しを食らった。
「ポーションを考えないとこの仕事で食っていけない」
「値段を安くしてるのは覚悟がないから。満足してもらえなくても、安いんだから仕方ないって逃げ道をつくってる」
 いつもどおりの指摘。わかってるけれど、値付けはどうしても難しくて思い切った値段をつけられないでいる。そして厳しいことを言うのは、私をヘコませたいからではなく、手を引っ張ってくれてるからだともわかっている。
 そうやって叱って励ましてしてくれることがうれしくて、そうしてくれてるうちにちゃんと独り立ちしたいと思う。あきらめられる前に。
 そんなことを話したいなと、昨夜も友だちに会いに行った。が、次々にお客さんが訪れ、話をすることは叶わず。公称「アキさんのために開けたワイン」を飲み、接客する友だちを見ていた。

 本当は昨日ではなく今夜行って、おそばとワインで年越ししようと考えていた。でも明日も行くし、今夜は家でぼーっとしよう。毎日行くのは、なんだかちょっと恥ずかしい。
 久しぶりにYouTubeを探る。ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートが見たかったけれどかなり古いものしかなく、関連動画にあがっていた「ボレロ」を見て回る。
 ジュリアン・ファブローも踊っていた気がして検索、でもなんか違う。首藤くん、シルヴィ・ギエムときて、ジョルジュ・ドンへ。やっぱり私にとっての「ボレロ」はこれだな。
 ジュリアンは弱くて、首藤くんは真面目、ギエムは薄くとも布をまとっているのが気に障る。「ボレロ」は上半身裸である方がいい。ベジャールの作品では、ときどき女性も上半身裸で踊る。ギエムの「ボレロ」もそうであったなら、きっと納得できただろう。
 ジョルジュ・ドンの「ボレロ」は静かで色っぽく、冷たくて激しい。ジュリアンも首藤くんも肉体の立派さでは負けてないのに、ジョルジュ・ドンの方が圧倒的に肉体の強さを感じる。もっとデコラティブに踊っている印象だったけれど、改めて見るとそんなことはなく、にじみ出た艶やかさで派手に感じられていたようだ。

 ベジャールとくれば、やはり「Ballet for Life」を見なくては。
 久しぶりに見たけれど、やっぱり私はこの作品が一番好き。映像化されているバージョンより、見に行った日本初演バージョンのキャストの方が好き。メインはジュリアン・ファブローで、ドメニク・ルブレやエリザベット・ロスが出てた。ジル・ロマン、小林十市くんはやっぱり好きだし、十市くんは日本人で一番のダンサーだと思う。
 カーテンコールでベジャールが出てきて「Show must go on」が流れ出す。ベジャールの死後、ジルが跡を引き継いでベジャール・バレエ・ローザンヌは続いている。今もこれからも上演されれば「I want to break free」でジョルジュ・ドンの映像が流れる。
 ジョルジュ・ドンが死んでも「ボレロ」は踊り継がれ、ベジャールが死んでも作品も舞踏団も続いていく。続いていく限り、ジョルジュ・ドンもベジャールも残る。
 昨夜、友だちと「記憶に残る、石に刻んで残る」の話をしたことが蘇った。石に刻み込まれた記録よりも記憶ははかなくて、長く残ることはない。でも見たことも聞いたこともない人が石の記録を読んでも、「へぇ」と思うだけで心は揺さぶられない。記憶には感情が紐付いていて、思い出すと心が動く。自分が記憶されたいとは思わないけれど、石の記録を読むよりは記憶を呼び覚ます方に価値を見出す。私なら。

 今日が終わる。明日が来る。何をしてもしなくても、今日は昨日になり、明日は今日になる。
 ただの日を明日も生きよう。記憶に残るようなことがあってもなくても。死ぬまで生きる。
 いつもと変わらぬ12月末日。



ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす