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夢占いの科学

今朝、3時に目が覚めました。

親戚のおじさんが急に倒れてしまい、慌てて救急車を呼ぼうとするのですが、パニックで上手くボタンが押せず、スマホの液晶が壊れてしまいました。そこで通りすがりのおばあさんに携帯電話(幸いプッシュボタン式でした!これなら安心)を借りたのですが、なんとボタンが全部ひらがなや漢字しか書かれておらず「119」が押せないのです。携帯電話を投げ捨てて、コンビニに駆け込み救急車を呼んでもらうよう伝えるのですが、私も含めてそこにいた誰もが番号を思い出せません。さっきまで覚えていたのに。一体どうなっているんだ!!!

…というところで、目が覚めました。

眠りが浅いせいか、夢はほぼ毎晩見ているので特に気にはなりませんが、バッチリ目が覚めてしまって寝付けないので、暇つぶしに夢占いをしてみました。いくつかのサイトで調べてみると、「救急車を呼べない/来ない」「友人や身近な人との関係性の悪化やトラブル」を暗示しているようです。さて、何か心当たりはあるだろうか。

そういえば今年、友人からもらった年賀状を返していなかった!

…ということなのかな?

占いの確からしさ

まわりにも占いにハマっている人がいますし、コロナ渦において占いアプリが世界的に流行っているという話も聞きますが、私はあまり興味を持てずにいました。こんなことをして一体何の意味があるんだろうか、と。

たとえば、

「昨日の昼にうどんを食べた人は、2030年に金運が上昇します」

「過去1ヶ月、左手の指にトゲが刺さった経験のある方は、10年以内に運命的な出会いがあるでしょう。トゲは運命の人を暗示しています」

これは勝手につくったデタラメですが、無いとも言えないですよね。こんなこと、いくらでも創作できるしテキトーなことを言えてしまうので、まったく信用ならんし意味が無いなと。もっと占い師や占う内容によってキッチリと検証を行い確からしさを割り出すべきではないか。

柔らかい事実と固い事実

占いに対してそんな疑いの目と、占い業界における自己改革の必要性を感じていた私ですが、「文化人類学の思考法(世界思想社)」の中にこんなことが書かれていました。

フランスの哲学者であるブルーノ・ラトゥールによると、「柔らかい事実」と「固い事実」というものがあるのだそうです。たとえば、「てるてる坊主を吊るしておいたから晴れた」は柔らかい事実。「てるてる坊主と天気の関係を過去10年間にわたり世界130の国と地域で検証した結果、両者には有意な相関は認められなかった」は固い事実。そしてこの「柔らかい事実」と「固い事実」を結びつけ、意味を問い直すことで、現実社会を組み替え捉えている、と。

後半はざっくりまとめたのでわかりづらいかもしれませんが、つまり、「てるてる坊主は本当に意味があるのか」という問いから科学が発展してきたとも言えるし、現代のような科学に偏重した価値観を問い直す役割を、未科学(敢えて非科学ではなく)が担っていると言えるかもしれません。そして何よりも、「柔らかい事実」には余白が残されていることが「問い直す」「組み替える」ということのポイントになっていると感じます。てるてる坊主をつくることで息子の運動会をたのしみにする母親の気持ちがそこには投影されていますし、年賀状を返していない事実を占い結果から思い出すこともできます。

占いは、未来を正確に予知する科学なのではなく、自分を取り巻く世界の意味を捉え直すことで未来を拓く科学である、と言えるかもしれませんね。

年賀状を返せていない友人には、何か贈っておこうと思います。


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