母と俺
齢八十二の母。
先月、母は七十才で死ぬと思うと俺に言った。もうこんな調子だと八十まで生きられないと、思い詰めるように。俺は少しの戸惑いと寂しさが一気に込み上げる。でも気持ちを切り替えて、そんな母に明るい口調で聞いてみる。
「母さん、今いくつ?」
しばし考える母。
「六十三」ニヤッと笑いながら答える。
ボケてるのか本当にそう思っているのかもう一度同じ質問をした。
「で、いくつ?」
母の目を見て微笑みながら(本当はいくつ?)と聞く。
キョトンとした母。ゆっくり考え始めた。
「だから、、、あれ?」
さらに母に確認するように、
「七十才で死ぬんならもうとっくに死んでるんじゃないかなー?」
意地悪な表情を作って惚けたような口調で投げかける。
こんな時は違うでしょと頭ごなしに否定し、間違いを指摘するような言動はダメだと最近気づいた。
もう一度母が「あれ?」と言う。
母はニヤニヤしながら、恥ずかしそうに笑った。そして、
「八十ニじゃ」
「もう八十越えちょった」
「お?まだボケてないねー」
「いやーもうダメじゃー」
「本当はいくつなの?」
リラックスした母にわざと聞き返した。
「本当に八十二才?」ニヤつく俺。
「本当よ!」
母の反応は早かった。弾む会話。これでしばらく大丈夫だ。
一ヶ月後、もう一度母にいくつか尋ねたら、すぐに八十二と答えた。
自分で考えて認知させることはある程度効果があるんじゃないかと思う。こんな会話の後に自分のルーツ、母のルーツを話す。曽祖母と大叔父が養子で母方の叔母がってややこしい話をする。そうすると、、
「頭がこんがらがる」
とげっそりした表情になりながら笑う。そりゃそうだ。普通でもこんがらがる。
少しずつ認知症が進む母と一緒に再発見していくことが楽しみとなった。
否定せずになんでそう思うのか一緒に考えることは難しい。
もう、フォースを会得する修行のようだ。怒りは暗黒面なのだ。
いずれ俺もボケるかもしれないが、それでまでに自分家のことは少しでも記録しておきたい。客観的だろうと主観的だろうと何でもいいのだ。
「いつも遅いんよ」
子供の頃ぐずぐずする俺に言った母の言葉が突き刺さる。
新しい関係を作るのも大切だけど親子のままでいたいと思う時もある。母が笑顔になるならどっちでもいいと思うけど。