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死について考える【84日目】
夏の暑い時期になると、死についてなぞ考えていられなくなる。体が温かいと心も高揚するものだ。逆に、体が冷たい、寒いと、心も乏しくなるものだ。実際に、イギリスの産業革命の時は、雲が空を多い、日が差さず、寒かったために、どうも身体も心も病んだ人が多いようだ。
南国なんかにいくと、陽気な人が多いのもあるだろう。暖かいとどうしても深く考えようとする力が鈍る。楽観的になるというのが一番適した言葉であろう。
寒くなると、逆に深く考え、頭がよくなるように思えもするが、頭の良さは関係なく、深く考えることで、より考えすぎてしまい、自分の中へ没頭していき、病んでしまう。考えすぎというやつだ。
頭の良さは気温で変わらないだろう。きっと。南国にも神童はいる。ただ、経済圏の違いで、世に出てこないだけかもしれないのだ。学校に行けず、その能力に気づいてもらえず。
暑いと、こうやって、何かを考えることを投げ出したくなる。正直どうでもよくなる。死はまた、遠いように感じる。むしろ、今を生きようと、必死になるだろう。体の燃焼が始まるというのは狩りの合図だ。これから狩りをし、食を手に入れ、生きるために、生き残るために行動する。わざわざ、狩りに行って狩られようとするものはいないだろう。自殺志願者以外は。
太古の世界で自殺志願者はいたのだろうか。動物に近い状態だと、本能がそれを許してはくれないだろう。逆に、知性があるから、そういう考えに行き着くのだろう。知性によって、理性によって、考えに考え、そして出た結果だ。
本能はそれを避けて生きようとする。だから、いじめがあっても逃げるのだ。猿の集団でもあるらしい。猿は人間より本能で生きている。自殺はないだろう。その猿の集団で、のけものにされた者は、ただただ逃げる。自殺はしない。それが本能だから。
人間はいじめにあうと自殺する。なぜか。逃げれないからだ。逃げることはできるかもしれないが、社会がそれを許さない。また檻の中へ戻すのだ。
そう考えると、檻の中の猿同士なら、自殺に行き着くかもしれない。それは実験しないとわからないが、流石に実験はできないだろう。
時には、逃げることが大切だ。そして、逃げやすいように、環境を作るのが大人の役割だ。大人における環境もそうだ。逃げる環境を作るのも社長の役割なのだ。
日本は自殺率は世界一だと言う。鎖国というのは外からではなく、きっと内からなのだろう。あれだけ、北朝鮮はと言い続けている日本の方がむしろ、動物園なのかもしれない。