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死について考える【37日目】

自殺をする人は何を考えて自殺をするのだろうか。

それはもう現世に愛想を尽かしたか、現実が地獄だと悟ったか。

脳がダメージを受けて萎縮して、そういう考えにいたる時もあるだろう。

現世に愛想を尽かした、というがとても気になる。つまり、あの世の価値を見出しているということだろう。あの世が存在し、そこへ行くと極楽になれると信じている人こそ、現世に愛想をつかせるのだ。宗教に入ったからといって、そういう考えになるわけではないだろう。むしろ、宗教としては、現世での行いを審査基準に、来世やあの世での処遇が決まるとなっている場合が多いからだ。そして、信仰の深い人ほど恵まれると。そういう思想でない限りは宗教は広まらない。生きている人が働きかけない限りは広まらないのである。つまり、死ぬことが、死んだ後が、いきなり極楽という宗教があるとするならば、そこへ入信した人は入信してすぐに死ぬだろう。条件にもよるか。現世で辛い経験を繰り返した人こそが、という条件が入っていたら、その案でも人は生き続けるだろう。ただ、宗教に入って何もしなくても、その状態がえられるのであれば、人々は次々に死んでいくだろう。

宗教の力では現世に愛想を尽かすのは難しい。であれば、現世に愛想をつかせるには、多大なる退屈やそういった1点張りの思想を持つ他ない。もしくは、愛する人のためにといった考えもあるだろう。愛するものを永遠に。愛するものが私の最後に。愛想とはまた違うが、そういう思想でも自殺はあり得るな。

多大なる退屈は人を死に追いやる可能性を秘めているに違いない。人は成長をしないと、そして、娯楽すらないと脳が死んでいくからだ。そういう意味では、脳へのダメージなのだろう。暇すぎるというのは厄介だ。金持ちはもしかしたら、こういう状態に陥っている可能性もある。あまりに何でも簡単に手に入るからだ。すべてのものが簡単に手に入ったら、つまり、ゲームでチートが使えたら、そのうち飽きるだろう。その状態が現実世界で起きる。だからこそ、アブノーマルな道を切り開く人もいるわけだ。実験という名で活動する人もいるわけだ。

1点張りの思想、これは本当に愛想を尽かした状態。退屈に近いかもしれない。外との関係を断ち、新しい情報が入ってこず、考えもループした後、やることが思い付かず、この世に生きてる意味がなく、愛想をつかす。小説家を想像した。

他、現実が地獄。これはイジメなどであろう。脳へのダメージに近い。あまりのストレスに脳がダメージを受けて萎縮してしまう。正しい判断ができず、本能である生きるということすら麻痺してしまう。ストレスによる脳へのダメージは深刻だ。過労死もこれに近い。また、ブラック企業での社畜生活も同様だろう。過労死は少し違うか。それも時と場合によるが、すべて外からうけるストレス圧に耐えられずに、本能が、生きようとする考えが吹っ飛んでいくのだ。

自殺とは、脳が極めて正しく働かない状態なのかもしれない。脳が働かない状態を作り出してしまう。これが危険なわけだ。つまり、何もせずに日常を暮らしていると、脳は退化し、死への恐怖も薄らぎ、生への執着もなく、活動しようと、時間がないと焦らず、つまり、ゾンビになっているのだ。体は生きているけど、脳は死んでいる。まさにゾンビだ。

行動しない人はゾンビと言っても過言ではないだろう。つまり、今の私はゾンビなのだ。おぞましいゾンビ。ゾンビから生まれ変わるには、脳を手に入れる。いや、脳をアップデートさせる。脳をアップデートさせるには、新しい世界を見る。新しいことを学ぶ。新しいものことを知るには、新しい場所へ行く。新しい場所へ行くには、とにかく外へ出る。結論、外に出なければならないと言う話だった。外出自粛中の今は難しいかもしれないが、解除され次第、策をねらねばならない。今のうちに策を考えるのもよし。つまらぬプライドは捨てよ、我。

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