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死について考える【62日目】
死の前に恐怖を味わうのは嫌だ。
特に犯罪で、例えば、さらわれてなんて想像しただけで恐怖だ。昔は拷問や奴隷などがあったことを考えるととても胸が苦しい。
こき使われてボロボロになって、肺の片方を売って、そういう死に方だけはしたくない。
社畜もある意味、奴隷のようなものじゃないかと考える。やりがいもなく、生きがいもなく、ただただ生きるために働く。それは奴隷とどう違うのか。自由があるから違うのか。本当に自由だと言い切れるのか。奴隷時代よりは、当たり前だが、自由である。どこに出かけてもいいわけだ。しかし、会社に戻ってくると、それは奴隷と変わらない働きぶりだ。ブラック企業へわざわざ足を運ぶのは果たして自由と言えるのだろうか。軟禁のようなものであろう。体が自由でも、働きに戻らなくてはならない、嫌でも戻らなくてはならないという心の持ちよう、そう、心は自由とは言えないだろう。
現代は、体よりも心の健康が問題視されている。特に鬱であろう。
それは最終的に、体をも蝕む。ガンだ。心のガンなのだ。
その病気から治るには、ふだんからそういう心持ちにならないよう心がけなくてはならない。また、そういう状況がおかしいとわかるよう教育を受けなければならない。学生にはそういうことを知っておく権利があるのではないかと常々思う。
しかし、そういう状況におかれると、頭は混乱し、支配される。ブラック企業はそういうのがうまいのだ。そうやって人々を洗脳のような状態へ持っていく。洗脳されないように気をつけていても、環境がそうさせない場合もある。そこへどう対処していくのか。そもそも、そういう状況が作れないように国がどうにかするべきだと考える。こういう時に国を頼るのは嫌いだが、国が制限させれば、最初から起きないのは至極当然なのだ。
つまり、ブラック企業がある日本という国は、すべて日本が悪いのだ。国が悪いのだ。この国で育ってしまったからにはもう仕方がない。ブラック企業へ入らないように気をつけるだけだ。ブラック企業はなくならない。それは国が作っているのだから。であれば、ブラック企業かどうかを見分ける、その力が必要だ。
犯罪もそうだ。犯罪に巻き込まれないようにするには、そういうところへは近寄らないことだ。本当に強い人間ほど、そういうところは避ける。例えば、歌舞伎町であったり、暗い夜道であったり。そうでないところでも犯罪はもちろん起きるが、巻き込まれる確率は減らせる。護身術をつけるのも大切だ。
それと同じように、ブラック企業には近づかないということだ。それがわかるかわからないかはあなたの経験と知識次第だが。歌舞伎町が危険だと感じる人もいれば、そうでない人もいる。それと同じように、その企業が危険かどうかは人それぞれ違う。それはその人の経験と知識から来る。つまり、ブラック企業を見極めるには、それ相応の知識を得る必要がある。
どういったところがブラック企業なのか、知っておく必要があるのだ。私はそういう知識を得ようと努力している。しかし、それでも経験しないとわからないこともある。
経験してみて、こういう世界もあるのかと落胆する。これをバネに次へと向かう。その心持ちも大切だ。死ぬまでそんなところで働くのは嫌だ。だからこそ、常に行動する必要があるのだと改めて感じた。