死について考える【98日目】
嫉妬というのは恐ろしい。
知らぬが仏とはよく言ったものだ。知らなければ、何の感情も持たないのだから、嫉妬すら持たない。しかし、知ってしまったことによって嫉妬という感情が生まれることがある。嫉妬に限らず、感情というのはその事象に対して生まれるものだから。
知識を身につけることは良いことだろう。そのためには、多くのことを知りに行く必要がある。しかし、そうやってたくさんの知識をつける中で、様々な感情が湧き出る。それは喜びも悲しみも怒りも様々だ。その中でも嫉妬というのはかなり厄介だろう。
近年SNSが普及し、他人の行動がすぐにわかるようになってきた。この情報は知識になる反面、悪い影響を及ぼすこともある。結論から言うと、SNSにより、同等くらいの活躍を目にすることで、嫉妬が芽生えたりするのだ。よくそれでマウントを取るなどという言葉が使われることが多いが、それは、相手より優位に立って、というのも、憧れの的になってなのか、嫉妬を払拭するためなのか、もちろん、ただの自慢もあると思うが、それよりもやはり相手のことがいいなと思ってしまう、嫉妬の感情が原因、問題なのだろう。隣の芝は青いということわざはこういう時に痛感させられるわけだが。日本のどこにいる誰だかわからない人に嫉妬してしまうのだ。それがSNSというものなのだろう。もちろん、使い方を間違えなければ、そういうことにはならない。間違えるうんぬんはないかもしれないが、そういう感情を生んでしまう使い方もあるだろう。そういうのを積極的に発言する人だっているだろう。ライバルのように扱うというのは聞こえがいいかもしれないが、そういう扱いであれば、自分を高めるのに、成長するのに、役に立つ。そういう嫉妬はある意味歓迎だが、軸を変えて相手をねじ伏せようとする人もいるわけだ。それがある意味マウントを取るということなのだろう。
嫉妬も大切な感情だったりするわけだが、それをバネに自分が変わらないと意味がない。これからもっと科学が発展し、もしかしたら、テレポートもできる時代が来るかもしれないわけで、そうなると、SNSよりももっと身近に他人の行動が見え隠れし、情報が脳へ雪崩れ込む。そうなったときに、そういった感情を制御することが大切なのだろう。
最後にとってつけたように死について触れるが、死ぬまでに自分が経験できることはある意味決まっているわけで、他人の情報を得てもそれができるとは限らないわけで、そういった情報に踊らせられないように生きることも大切なのではないだろうかと。生きる上での何かを今日は書き留めておこう。