死について考える【59日目】
人生一度切りなのだから自分のために生きると、そう思って生きてきたけど、それは間違いかもしれない。
いや、間違いだろう。
なぜ間違いなのか。人のために生きなければ、自分のためにならないから、だろう。
そこまで確証はない。昨日今日感じたこと知ったことだから、これから実証実験をしていく必要があるからだ。
今までの経験からもわかるかもしれない。
確かに考えると、人に優しくすれば、人から優しくされる。人に厳しくすれば、人から厳しくされる。それは摂理に合っている。
人に厳しくして、人から優しくされることは、親でない限りありえないだろう。他は他人なのだから。
だから、親しか知らずにニートとして生きている人はそういうのを知らないのかもしれない。
人にやさしくして、人から厳しくされることはあるかもしれない。それは相手が人のために生きようとしていないからだろう。
そういう人間を相手にしてはいけないのだ。つまり、優しくした相手が厳しく返してきたら、それはダメな人間だと、そういう判別がつく、良い実験方法なのかもしれない。
自分の周りからダメな人間を省くにはとても便利な業だ。そういう意味でも、他人へ優しくするのは、ある意味自分への投資と言えよう。
厳しくにもレベルがある。先輩から厳しく指導をにもレベルがあるように。厳しさの中に愛があれば、問題なかろう。厳しいだけのただのブラック企業のような上司はいけないのだ。
そういう人にぶち当たらないためにも、他人へ優しさを振りまき、それを見極めるだけの経験を積み、大人になってそれを発揮すればよろしい。
なるほど。いい方法だ。しかし、今それを知ってしまっては遅いのだろう。きっと。いや、今からでもまだ間に合うのだろうか。これからたくさん経験していけばいい。
人生一度きりだから自分のために生きるのではなく、他人のために生きる。
これもまた人生だ。
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