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739番 田中「自己紹介」

まず、プロフィールのアイコンが初期設定のまま。
フォローやスキの、お礼のポップアップも初期設定のまま。

記事のトップ画像だって、タイトルだって、ワンパターンのまま。

だいたいにして『739番 田中』とは不適切ではないのか。
『中卒』を称するのもいかがなものか。

それでも note を続けて1年が経ちました。
自己紹介くらいはと、おくらばせながら投稿した次第です。

経歴については省きます。
残念ながら、人に言えるような経歴がありません。

仕事についても、事件についても、あと家族についても省きます。

誤解を受けますし、それらを解くのも何から手をつけていいのかわからないままです。


現在

現在の自分は幸せです。

とはいっても、結婚しましたとか、宗教やってますとか、そういうんじゃなくて普通に幸せです。

これは、なんのかんのいっても 矯正教育の  自分のおかげ、いえ、note の皆さんのおかげです。
ありがとうございます。

書いたものを読まれるというだけで、こんなにも心が幸せにも平和にもなるなんて。
1年前には考えてもませんでした。

法令順守の生活をしているというのもあるのでしょうね。
いえ、正直にいえば順守してない。

道端で立ちションをした軽犯罪法違反。
50キロ制限のところを55キロで走行した道路交通法違反。

あとは、健康ランドに設置されていたカカトブラシの柄を折ってしまった器物損壊罪もある。

さんざんと、湊かなえの小説がつまらないと書いてしまったのも侮辱罪に抵触する。

それらを明かしますが、判断は当局に任せます。

そのかわりといってはなんですが、アピールになってはいけないですが、小さな善行(週イチのゴミ拾い活動)も続けております。

フォロー

フォローは応援のつもりでしてます。
同じく、書くことに悩んでいる人への応援です。

どんな人が書いているのかを知って、次に何が書いているのか読むという流れが多いので、フォローはそのきっかけにもなってます。

ただ、フォロワーが少ない方へのフォローは、気をつかって控えてます。

だって、逆の立場だったら。
これだけ note には有能なクリエイターがひしめいているのに、しょっぱなからピンポイントで中卒からフォローされたらケチがついたような気がしてしまう。

それに元受刑者だと名乗る者に、いきなりフォローされたら気味わるい。

もちろん、自分はそんなにわるい人ではありません。
ご安心ください。

いけない、自分で言ってしまいました。
やっぱり、うさんくさいですね。

いずれにしても、フォローされずに、それを希望する場合はコメントください。

あ、あと、一生懸命に競艇を予想してるキラキラ女子はフォローしないかな。
唐津も徳山も芦屋も三国もわかりました。
的中もして、万舟もとっているのでしょう。

しかし、ちょっと趣旨がちがうようなので、フォローバックはしていないのをご理解ください。

スキ

いつもスキをつけてくれる方、ありがとうございます。
励みになっております。

初めて投稿したときにも「誰も読まないだろう」と思っているうちにスキを押されて、すごくうれしかったのを覚えてます。

それなので、自分もスキを押すようにしてます。

「そうだったのか」とか「おもしろい」と感じればスキしますし、そうでなくても荒削りの雰囲気の文章が好みなのでスキします。

写真がよくてスキするときも。
タイトルに釣られて、本文を斜め読みしてスキするときも。

ネコに目が止まってスキをしたりも。
ネコ好きです。

読むのに集中しすぎて、スキを忘れたりもします。
何ページ読んでも、通知ラッシュになってもいけないとスキは1つだけのときもあります。

プライベートすぎたり、ほっこりしすぎている記事には、読んでもスキを押さずにそっと立ち去ったりもします。

久しぶりに訪れたときは、読みやすそうなものだけ読んで『来ました』という意味でスキを押すこともあります。

あと、共感したとか楽しいという記事もいいですが、考えが覆されたり、認識が揺さぶられる記事を努めて読むようにしてます。
このときは、すべてを理解してなくてもスキを押します。

このように様々ですが、スキに取り立てて深い意味を見出したりはしてません。
こちらからスキを押されて、戸惑わないでくださいね。

コメント

これほど本が読まれないという時代に、これほど本を読む人が note にギュゥッと集結しているとは。

しかもです。
投稿している本人は「これでいいのかな?」と迷いながらなのに、無学な人の感想文なのに、自身の感想を交えてわかりやすくコメントできるという方は、思慮の深さ、教養の高さ、それらを感じております。

知らない本や、繋がりがある本を知るのも楽しみです。
宣伝されている人気の本よりも、その人の生き方を変えた本というのを知るのも楽しみです。

知った本の題名と作者とメモは読書ノートに記入して、あちこちから3人ほど重なったら買うようにしてます。

目に付くところに置いて、ジャブのようにしてペラペラ読みをして、ある日からしっかり読むという読書をしてます。

そう考えると、どの本を読むのか決めるのは、人との出合いだなとコメントを通して知りました。

note をはじめたきっかけ

檻の中で書いていたノートを元にして投稿してます。
仮釈放のときに持って出た36冊のノートでした。

ノートを持って出たのは、扱いが特別だからです。
他の物品は “ 宅下げ ” といって外部の人に渡せます。

だけど、ノートだけは “ 廃棄 ” するか、房内に置いて出所と同時に持って出るか、どちらかの規則になってます。

“ ノート検査 ” もあり、不都合というか不適切な内容は注意されるか削除に。
それを避けるために『読書感想文』ということにして、行間に正直な気持ちを紛れ込ませて書いたノートでした。

仮釈放からしばらくは、周囲が敵に見えました。

いい年して何を言ってるんだ、めんどくさいヤツという話ですが、軽い洗脳になっていたようです。

外に出れば社会から袋叩きにされると、実際に半分以上は再犯して戻ってくると、多くは1年もたないと、なにかにつけ刑務官は決めつけます。

多少は世知にも長けていて、しぶといのが取り柄の自分ですら、自由になるのが嬉しいどこかで外に出るのが怖くなってました。
が、それではいけないとノートは手放せませんでした。

そんな行動を共にしていたノートの読書感想文を note に投稿したのは、やはり note という名称だからですかね。
ほかの名称だったら、おそらくやってなかったと思います。

書くこと

ちょっと重いですけど、自分にとっては “ 書くこと ” とは “ 生きること ” です。
大袈裟な話ではないです。

人って何もすることがないと、・・・ちょっとちがう、何もできない、何もすることができない、何かをできないともいうのか、ともかく自分はノートとペンがあったから檻の中でも気を保てた。

檻の中で取り残されていると、死んだ人間になったようで、ときには消えてなくなる気がしました。

胸の中が泡立つようで呼吸が苦しい。
それらの小さな泡を、ペン先で一つ一つ潰していくような筆記でした。

コンクリートの独居房で書きました。
タタミが2畳と、便器があるコンクリ床1畳の独居房です。

冷暖房がありません。
コンクリの建物って温度が一定になるから、夏は1日中30度から下がらない。
ボールペンのインクも出もわるくなる。

湿気もこもるから、ノートはフニフニになる。
ペン先で紙を引っかくようにして書きました。

冬になると、コンクリの建物はよく冷えます。
ガタガタする鉄の窓枠からは、隙間風が入ります。
鼻水を流して、しもやけの指で書いてました。

文章が暗くなるはずです。
楽しい気分ではないのですが、それが大変だとも感じませんでした。

そして賞をとり驚きました。
『○○矯正管区 文芸コンクール 読書感想文の部 銅賞』という賞を。

応募者は、管区内に所在する15の刑務所と拘置所に収監されている受刑者。
外部の方が半年かけて審査したそうです。

賞品としてノート1冊を得ました。
これが読書感想文を、もっと書くようになったきっかけです。

変化

投稿を読み返すと、前半は余談が多い。
そこには刑務官を敵として書いてありますが、今では必要がなくなったのがわかります。

1年が経ってみると、刑務官は共作者といえます。
彼らが、読書感想文を書かせている。

刑務官オヤジ、もし読んでいたらコメントください。
文句は山ほどありますが、お礼もいいたいです。

となると、刑事が文章の師匠ですね。
お手本としているのは供述調書です。

以外でしょうけど、現代の供述調書は悪意なく書かれます。
証拠能力が低下している、裁判官が警察を信用してない、という背景もありますが。

『○○年○月○日、本職が○○警察署において、内心の意思に反して供述する必要がない旨を告げて取調べしたところ、次のように任意で供述した。』

その一文からはじまり、経緯の良し悪しも公平に盛り込んで、事件には可否も弁明も加えて、内心の意思に沿うようにして書かれます。

筆記者の刑事は、相当な人格者か、優秀な演技者か、ちょっとだけ下品な作家のいずれかです。

犯罪の最前線にいながら性善説を信じているようで『罪を憎んで人を憎まず』という態度も透かしながら書いていきます。

いずれにしても、いつかは。
供述調書のような文章を書いてみたい。

今後

あと1年後くらいか。
本屋をやります。
ひっそりとした。
そこには観葉植物もおきます。

だって、暗くて薄ら寒い古本屋みたいになったら不気味。
せめて植物が育つくらいの明るく暖かい本屋にしたい。
それに本が好きな人は、きっと植物も好きなはず。

観葉植物は、現状は2種類のみ。
コルジリネガジュマル
挿し木をして、ここ2年かけて鉢を増やしてます。

オリーブもあるのですが、今年も挿し木は成功してません。
来年こそは成功させて3種類にします。

逮捕の前から育てていた木々です。
身元引受人が渋々と引き取って、その辺に適当に置いて水をやってましたが、自分が出所してから水をやったとたんに葉勢がよくなり新芽も出してきたという木々です。

いずれの木々も環境への耐性があり、病気もなく虫も寄らずに、手間がかかりません。
ガンガンと直射日光を当てて、バンバンと水を浴びせるとグングンと育ちます。

コルジリネは、別名『ハッピーツリー』といいます。
となると商品名は『不運な人が育てたハッピーツリー』かと。
不運などはこっちで引き受けてなんとかします、という願いが込められてます。

さわやかな交際』という花言葉も付けられてますね。
となると商品名は、いっちょパンチを効かせて『ドロドロの交際をした人が育てたコルジリネ』でもいい。
さわやかさが勝つという、わかりづらい意味が含まれます。

ガジュマルは、ものすごい生命力がある。
それだったら商品名は『しぶとい人が育てたガジュマル』だったら、他の人は追随できないでしょう。

また『たくさんの幸せ』という花言葉もあります。
だったら『少しは幸せになった人が育てたガジュマル』とすれば正直でいい。

オリーブの花言葉は『平和』。
商品名はどうしようか。
『自分だけ平和になっている人が育てたオリーブ』はどうだろうか。

怒られるだろうか。
その前に、そんな商品名だと誰も買わないだろう。

でも3種類になれば『さわやかな交際』『たくさんの幸せ』『平和』がコンプリート。
素敵ではないですか。
やりがいがあります。

肝心の本ですか?

皆さんから知らされた本を置きます。
皆さんの感想と共に、なぜその本を選んだのかというエピソードも添えて売ります。

販売方法は、ネットのライブにより全国対応を可能に。
完全予約制で365日24時間営業とするのは、忙しくて本など読んでられないという人のためです。

店舗に見立てた1室にWebカメラがついたスタンドを置いて、いくつかの本棚を移動しながら「この本はおもしろい!」と1冊1冊を盛大にネタバレしながら売ります。

クリックひとつで済む時代に逆行する売り方ですが、買い物だって楽しいですし、そんなふうにして売るのも好きな自分です。

それに、紙の本は高級品になるといいます。
その高級品を手にできて、ついでに木々も買えて、読書という贅沢な時間が担保される。

だったら、会員制の高級本屋の看板を出してみようか。
アマゾンで1円で売られている本を、10000円で売ってもいいかも。
となると、店主の自分は正装で蝶ネクタイでもしなければ。

この先、どんな時代になるかわかりませんが、そんなアホみたいな本屋が日本に1件はあってもいい。

「なんだ最後は宣伝か!」「そんなの売れない!」という話ですが、こっちは勝手に1人でおもしろくなってます。

もう、はっきり言います。
そのときは、ぜひ買ってください。

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