二千一夜物語26
26.輪廻転生
作家は生まれ変わって別の作家になる。断じて嘘ではない。確かな証拠がいまここにある。私が閲覧机に積み上げた本たちの中に。
でも私は軽々しくそれを口外しない。もしそれをすれば「われこそは漱石の再来なり」などと広言する身のほど知らずが必ず現れるからだ。その手のごたくは帯だけでいい。
それにまた、当然のことながら、すべての作家がカルマで繋がっているわけではない。この場ではひときわ強い命脈のみを取り上げることにする。
<第一の例>
オースチン(一七七五 ― 一八一八)
マルクス(一八一八 ― 一八八三)
カフカ(一八八三 ― 一九二四)
「立派な資産を持った独身男性はきっと妻を求めるだろうというのは普遍的に認められた真理である」
それがオースチン『自負と偏見』の書き出し。対してマルクス『共産党宣言』の緒言はつぎのとおり。
「社会的なあり方に応じ、人間の観念や理性、概念、一言でいえば人間の意志もまた変化するということを理解するのは、それほど難しいことであろうか」
このふたつの文章はぴったり重なる。そしtこの両者から弁証法的唯物論を仕込まれた三代目フランツは、不条理に逃げ込むよりなかった。
<第二の例>
ランボー(一八五四 ― 一八九一)
ミラー(一八九一 ― 一九八〇)
試作を捨てて雇われ商人となり旧大陸に渡った男は、雇われ社員から作家に転じた新大陸生まれの男にバトンを渡した。
<第三の例>
ポー(一八〇九 ― 一八四九)
スティーブンソン(一八五〇 ― 一八九四)
セリーヌ(一八九四 ― 一九六〇)
ポーの『黄金虫』はスティーブンソンの『宝島』に形象された。彼らの南洋は怪奇な幻想にあふれていたが、セリーヌが『夜の果ての旅』を書くころには幻滅に変じていた。