コロナな世界でも、車が運転できなくても、僕たちはどこへでも旅に出ることができる。
※結果的に、僕の持病についても割りとガッツリ触れる内容となりました。苦手な方はまず♥️を押して(嘘ですごめんなさい)、そっとブラウザバックしていただけると助かります(最終的には明るい話しです、多分)。
最近、全くといって良いほど明るい話題がない。
僕の身の回りも、テレビの画面から流れ出るものも。全く辟易とさせられる。仕方がないことなのだけれど。
しかもだ、最近の僕の体調がまぁまぁに芳しくない。そりゃそうだ。年度替えでやらないかんことのスケジュールはぐちゃぐちゃで、お陰で4月のプライベート予定すらままならず、金はジリジリと減る一方、バイトもコロナ&体調不良でロクにシフト入れられず、そんな今日この頃手一杯だってんのに、それでも社会からはやれ「いつ◯◯はやってくれるの?」だの「GWの予定は?」だの「授業いつから?」だの、そこまで関知しとれるか!という、こんな感じで毎日ジワジワとストレスに苛まれてて精神疾患に良いハズが無い。お陰で身体はぐっちゃぐちゃ。メンタルが多少安定してるだけマシだけれど、それだってこれから相手からの何気ない「また体重増やして!」(これはまじ症状的にしゃあないんやって勘弁してよ、が本音)だとか「またスマホばっか見て!」(スマホいじってないときは鬱々考えちゃうんです堪忍して)だとか「また睡眠疎かにして!」(これは素直にゴメンナサイ)だとかで脆くも崩れ去る未来がはっきり目視できていて、まあ結果「詰み」なのである。嗚呼、逃げ出したい己の肉体と現実。
そうだ、今さらっと「精神疾患」とか言ったしちょっとだけその話を。前に眠れない系睡眠障害のことはちょろっと書いたけど、実はそれも含めて大元でひとつ、僕の身体にはあるトラブルが起こってて、今からするのはその話。
ただ、もっと辛い症状と日々闘ってる人たちの存在を、僕はよく知っているし、そういう人たちから見たらぼくのものなんてチンケなもんにしか見えない、という人もいるとは思っている。また、精神疾患なんて甘えだ!という論者がおられることも知ってるし、その論理も決して分からないものではない。でも、僕のことは僕だけのモノであり、現に僕はしんどいししんどかった。そういう前提で読んでいただけると嬉しい(あ、でも経緯とかは今日は書かない、それまで書いたら暗い記事がひとつ完成、で終わっちゃうから)。
所謂「自律神経のバランス」が崩れた状況。有名なのは「自律神経失調症」とかそんな名前だけど、それにプラスして身体的や精神的な症状・障害が強く出ている、という意味合いで「神経症」というお名前で、只今絶賛治療中なのであります。具体的なお悩みとしては、睡眠障害、社会不安、適応障害、気傷病、動悸息切れ、吐き気嘔吐、過食拒食、などなど。もう治ってきてるのもあるし、焦げたカレー鍋みたいにしつこくこびりついてるのもある。まあもう、最早ね、ちょっと性格が悪い「個性」「特性」みたいなもんだと割りきってはいるんだけれど、所謂社会生活というものについていくのはなかなかにしんどく、またこんな微妙な状態が長く続いてるからこそ周りからの理解もなかなかに難しく、まあそんなこんなな日々をもう2年程過ごしている。自覚が遅くて、手遅れ一歩前で治療開始したこともあり、暫く元気になるにはかかるけど、でもだからこそもう一年学生をやれるのはラッキーなことだし、ゆるりと過ごしながら生きていけたらナーなんて、そう思ってた。
……流石に、ゆるゆるし過ぎじゃね?俺。
そう、具合が悪いことを勘案しても、もうほんとは大学とか動き出してるこの年度末~4月頭時期に、山籠りの隠居生活みたいなのをルーティンしてるのは流石にちょっとよろしくない。ルーティンの内訳だって「起きる→Twitter→YouTube→自炊→飯→スマホ→飯→スマホ→たまに通話→寝る」みたいな生産性の欠片もない生活だし、まあこういうのは治療には向いてはいるんだけれど、もうちょっと生産性ある暮らしをしておきたい。ここからいきなり大学日常とか無理。死んじゃう。
ということで、ここ数日は部屋の片付けをしたり、論文のネタになりそうな情報を集めてみたり、色々考えごとを前へ進めてみたり、ということにちょっとずつ取り組んできた。そのなかのひとつとして、僕はあちらこちらを旅して回ることもひとつ楽しんで取り組んでいる。
……おいおい、お前このご時世に何ふざけたこといってんだ???
さっきのあれだけ聞いたらまじ炎上モノである。というか、わざわざそんなことを今書いたりしないしね。
でもね、この旅は多分誰でもどこでも出来るんですよ。使う手段はコチラ。
ここまでネタバラシすれば多くの方は分かると思う。グーグルマップかアースを開いて、適当な街を選び、後は気儘な散歩旅の始まりである。
実は、僕は今までの人生何度か引っ越しをしてきている。ぼかしながら言うと、◯ーバ君から「甲」の国、続いて首都郊外いったと思ったらいきなり中京どまんなかへ、再びのチー◯君で高校まで卒業したかと思ったらまたド田舎某所へと、世界を又に駆けるほどでなくとも22年の間でまあまあな遍歴を辿ってきているわけである。
で、今は、とりあえずそのむかし済んでいた街を訪れてみている。
覚えている街並み、変わらないあの店、無くなってしまった思い出の公民館など、物心ついている土地を訪れるときに僕は、心の揺さぶりとノスタルジアと、そして所謂「エモさ」との間でぐるんぐるんする旅を送ることができる。車の免許も持たない僕だが、自分のペースで、時に歩いたり、時に車に乗り込みながら、「懐かしのあの場所」を巡り歩く。
物心ついてない頃住んでいた土地にだって、記憶の片鱗に「あっ!」がくっつくことは往々にしてある。僕は色々な記憶を結構覚えていて、それは1つずつに決してストーリーのない、写真、或いは断片的なムービーというレベルのものでしかないのだけれど、でも、そういった「記憶のおもちゃ箱」の奥底に手を伸ばしているような、そんな愉しさがある。
これからは、まだ行ったことのない街、修学旅行で行った思い出のあの場所だとか、そういうところも歩きたい。何の変哲もない自宅から覗きこむ、ちょっとした探検。
家にばかりいて気が滅入るとき、オススメですよ。
(結果大筋からズレたことが大筋になってしまうこの感じ。あーあ。)