新年度だなんて、ただの区切れでしかないのだけれど。

私たちは、とかく時間に対して意味を与えがちだ。今日から新年度である。「新年度」が4月1日からか、2日からか、その辺りは認識がわかれるところではあるけれど、ともかく、昨日今日から、新年度を迎えるという前向きなメッセージや、抱負を述べる「呟き」と数多く接してきた。それはきっと、私だけではないだろう。
そんなことを思いながら昨日、私は所用へ出かけるさなかに多くの桜を目にしてきた。昨日はおよそ春とは思えない寒い1日で、すれ違った多くの人たちが分厚いコートをはおって、マフラーを巻いていた。にもかかわらず、目にする桜はたしかに「春」を想起させ、おのずと新年度のことについて考えをめぐらせるにいたった。都市のなかで画一化されたソメイヨシノへ、なぜ「春」や新年度への期待、美しさを見出だすのか。そんなことを思って車窓を眺めていると、とりわけ、桜をめぐるナショナリズムの関係性を指摘した友人のことばを、数日前にツイッターで見たな、という個人的なエピソードを思い出した。

「アラサー」という言葉がひたひたと射程にはいりつつある時間を重ねながら、私はいまだに「学校」という場で、「学生」という立場で、新年度という時の区切りを想起する。大学院生の私にとって新年度は、履修登録をはじめとした事務的な手続きに気だるさを覚える区切りであり、学会費の納入に頭を悩ませる区切りであり、これから1年間の長いたたかい━修士論文の作成と進路の勝ち取り━を告げる区切りである。それらはいずれも、私が生きるうえではそれなりの意味を持つ区切りだ。しかし同時に、それらが頑なに制度化されたものの内面化による区切りであるということに驚かされる。別に、桜という花(あるいは樹木)を眺めた「だけ」では、新年度を想起しないはずなのである。桜という花と、時間と、それから私をめぐるさまざまな出来事は、4月を区切りと位置づける社会制度によって紐づけられている。

私は学部時代、やんごとなき事情にもとづく留年を経験した。支え合うべき同期を失った5年目は、私にとってただただ孤独であった。とりわけ春はきつかった。5年目を迎える春は、私だけが取り残されていくような感覚とつねに向き合わされた。新天地へ、少しの不安と大いなるウキウキ感を携えて、少し浮き足立ちながら、バタバタと去っていくかれらを、私はただ見送ることしかできなかった。5年目を終える春は、その終わりを誰とも共有しえないことに、一抹の寂しさを覚えた。それは大それた感情ではなくて、ただ、同じように学位記をもつかれらと同じように、写真を撮ったり、ワイワイしたかっただけだったのかもしれない。そういう過ごし方「じゃない」良さだって、あるのかもしれない。そもそも、大学院への進学を決めていたあの時にとって学部の卒業なんて通過点に過ぎなかったし、大学を卒業して、進路が決まっているということ自体、かなり恵まれたことだ。しかし私はそれでも寂しかった。孤独を終えるということもまた、孤独であるという現実が、あまりに現実的だったのかもしれない。


そういう春を幾度か過ごしてきた私は、新年度というものに対してやや屈折した感情を抱くようになった。新年度だなんて、ただの区切れでしかないのだけれど。なぜ人々はそこに希望を見出だすのか。なぜ人々は、春という時間の経過におこるさまざまな出来事(たとえば、桜が咲くこととか)に祝祭の意を込めるのか。私はなぜ、そこからこぼれ落ちてしまうような感覚を抱いてしまうのか。私の周りには、そんなことにとらわれないで素敵に生きるたくさんの友人たちがいるのにもかかわらず。
それでも私は、これから起こるさまざまな現実を前に動き出さなければならない。進路決定については、学部を卒業するときより実は不安定だ。修士論文だって、M1の1年間何やってきたんだお前と、頭を抱えるくらい、何もできていない。絶望的に、高いたかいハードルを前にして、私は「新年度」という得体のしれない概念を一時的に借りながら、決意を固めてみようと思う。そして絶対に、この現実から決別するのだ。この社会の不誠実さと向き合うために研究を続けることを決めた、あの日を忘れてしまわないために。こんな「おまけ」をつけなければやってられない、そんな日だってあるのだ。

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