東京FM「SCHOOL OF LOCK!(通称SOL)」のMC、とーやま校長ことグランジの遠山さんが3月31日で番組を卒業した。
遠山さんはこの番組を通して、本当にたくさんの人を救っていた。
大げさに言うのならば きっとそういう事なんだろう。
私が遠山さんを初めて知ったのは2004年とか。当時まだ無名の平成ノブシコブシが出演していたネット配信(今でいうSHOWROOMみたいな感じで、芸人さんがファンの書き込みを読みながらトークしてくれるもの。ただしそれを1日10時間とか13時間とかやる化け物コンテンツだった)
「ノブシコブシのお友達」として登場したグランジ(当時はまだコンビ)のボケの遠山さん。代々木あたりの予備校生のような風貌で、破天荒(っぽく)暴れる吉村さんとガチンコクレイジーボーイな徳井さんに振り回されながら軌道修正する、優しいあんちゃんで好感を持った。
それからライブに足を運んで見たグランジのネタは派手さはないけどじわっと優しく、ぎらっといぶし銀な漫才でいいなと思った。
ただ、私が遠山さんに「のめりこんだ」のは、完全にこのネット配信と出待ちの神対応がきっかけだった。
もう正直に言うけど、遠山さんは断然、ネタよりも普段の「遠山大輔」という存在が“良すぎ”た。
その頃は遠山さんにはまるでファンがいなくて(私を入れて4人くらいだった、まじで)すぐに顔を覚えてくれたのもさることながら、毎度毎度10分とか20分とか立ち話をしてくれるのだ。
それがまた、媚びてもないし、かといってワーキャー人気の無さからくる悲哀もないし、とにかくフラットで、とんでもなく話しやすい。
そしてこれ、他の4人くらい(年齢や職業も違う。私はその頃うら若きJK)どの人と話す時もそのスタンスや距離感は同じで、その安定感と安心感はどこまでも常人ぽい見た目とは裏腹に、はちゃめちゃに常軌を逸していた。
ネタファンじゃなかったことの言い訳になるかもしれないけど、でもこのころから多分、遠山さんは「校長」に適任だったんだと思う。
遠山さんは「一人ひとりと向き合う」ことがめちゃくちゃ上手い人だ。
出待ちの対応をする芸人さんの中にはそれが「この人私のこと好きなのかな?」ってガチ恋させちゃうような、それこそホスト的な振る舞いが上手い人もいるけど遠山さんのはちょっと違う。
それから、よく人を受け入れる人のこと「懐が深い」と表現することがあるが、それとも違う。
深くもない懐をパンパンにしながら、自分の人生を一緒にまるごと考えてくれてるような熱さをなぜかどこかに持っている。
なぜか?それがわからない。あの頃の私は彼の文字通りの意味での「生徒」ではなかった。でも、恐れながら、ほぼほぼ最初の「生徒」だと、自意識過剰にも自負している。
SOLの多くの生徒が「とーやま校長に救われた」とコメントを寄せていたけど、私も同様に、16年前16歳のあの頃、とーやま(次期)校長に、思春期ならではの青臭さや漠然とした絶望など、まるまるまるっと、救ってもらっていた。
大学へ進学し、遠山さんの生徒は一旦卒業した。でも、なんかあると母校に帰りたくなる。
帰ると必ず「あら久しぶり。○○さん。」と黒歴史のハンドルネームで名前を呼んでくれる。ずるいだろ?そんなの、最高じゃないか。
2010年、グランジ遠山大輔は、スクールオブロックの「とーやま校長」に就任した。
民生もスーパーカーもミッシェルも遠山さんに教えてもらった私はシンプルにめちゃくちゃ興奮した。 遠山さんの音楽評がラジオで聴けるなんて!
その頃、同期で盟友の平成ノブシコブシとピースはコント番組のメインを張ってその認知を全国区へと広げていた。
それら全部、嬉しかった。
(余談だけど、私は彼ら東京NSC5期生がめちゃくちゃ大好きで。キャパ60人とかのライブハウスで観ていた、いつだって怠け者なのに人一倍売れたがっていた吉村さんがBMWに乗ってタワマンに住み、ギャンブルで負けて失踪してライブに来なかったこともある徳井さんがギャンブル番組に出演し、「マンスリーよしもと」の数行のコラム欄に掲載される文章が秀逸だった又吉さんが芥川賞を獲り、いつも大きなヘッドフォンにモッズコートを着ていた遠山さんがラジオの音楽番組のMCをやる世界がやってきてしまったこの奇跡は、ちょっともうこう書いていても泣きたくなるぐらい胸熱ってやつなんです)
スクールオブロック自体の熱心なリスナーではなかったけど、なぜか私はいつも「聴かなくても全然大丈夫」って思ってた。遠山さんの言葉は自分の体にハンコ注射のように刻まれているから、自分はただただやれることや大好きなことをひたすら頑張るというのが最優先ですべきことだろうと確信していた。
勝手な想像だけど、若い頃にSOLを聴いて、そして卒業していった子たちも、同じような気持ちなんじゃないだろうか。
番組をやり始めて少ししてから久しぶりに遠山さんと話をしたことがあった。MC決めの最終審査で、なぜプロデューサーさんが遠山さんを選んだのか。
「君が一番下手で不器用そうだったから選んだんだよ」
と言われたのだそうだ。
そうかそうか。音楽が好きで、音楽に詳しい、それだけが理由じゃなかった。
みんなわかってる。この人は自分のキャパシティがどんなだろうと、そのキャパシティめいっぱいで他人とぶつかる人なんだと。それこそが若者にとって必要な「校長像」だってことを。
なんととーやま校長は10年もMCを務め上げたのだという。その間にグランジにも色々あった。大さんが椿鬼奴さんと結婚し、にわかにグランジバブルが来たこともあった。
私もテレビ業界で仕事をするという夢を叶え、ある年の年末には、同じテレビ局の同じ番組で年を越すこともできた。
楽屋で再会できたときは夢のようだった。やっぱり私はこの人の生徒だと思った。
その後グランジは良くも悪くも引き続き、いぶし銀に彼ららしく活動をしている。そして気づけば自分は遠山さんがSOLをはじめた時の年齢になってしまった。あの頃、「遠山さん!夢を叶えてよかったね!」って思ってたけど、今の自分は何を成し遂げられたんだろうと、ふと情けなくなったりもする。
するとラジオの最終回、最後の最後。遠山さんは「生徒」たちにこんな贈る言葉をくれた。
「何者でもなかった俺がこうなれたのは君たちのおかげです。
俺のこの10年は、何者でもない人が何者かになれることを証明する10年だったんだと思う。
これを聴いているまだ何者でもない君へ
なにかをちゃんと納得して生きてみる 人と比べることはない 君ならできるはずと俺は思っている。」
ああ最後まで。この人は。まったく。
まだ此の期に及んで、私たちのことを背負おうとしてくれているのか。
別にどうでもいいことだろうけどとーやま校長に言いたいことがある。遠山さんの生徒だった私は、16歳の頃に抱いてた夢を叶えましたよ。やっぱりあなたの言葉は、人を救っていましたよ。だからこの先もとーやま校長に声をかけてもらったたくさんの、本当にたくさんの生徒がきっと、そうやって夢を叶えちゃうと思うよ。そして母校に帰ってくると思うから、その時は「あら久しぶり」って、いじってね。
人生はまだ続くから、校長は校長をやめるけど、遠山さんの人生も続くし、私たちの人生も続く。成し遂げてないことがありすぎるし依然として何者でもないわけで、だからもしかするとこれからも遠山さんに頼ってしまうこともあると思う。
甘いものたんまり持って出向きますんで、その時はどうぞよろしくおねがいします。
誇らしげに言うならば きっとそういう感じだろう。
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