五十嵐武志の耕さない13年の経験その②
13年もやっていると
色々な出来事があったし…
色々なことも言われた…
独立前 主な出来事3つ
①田んぼの見廻りを毎朝していたのですがとにかく挨拶しても挨拶が返ってこない。
②理不尽な説明で冬場の水の使用を不可にされた
③いちいち無農薬ではできない、耕さないとできない肥料あげないとできないと言われ続けた。※ 本当は目の前で立派な稲があるのに言ってきた
それらを受けて何をしたか
① 毎朝、毎夕に田んぼ見廻り欠かさずに1年通した。
結果 挨拶が返ってくるようになった
② ドライブハローの使い方を覚えた
結果 雑草もでない、数糧も約6俵前後に
※冬に水を張れない場合どうしたらいいのか岩澤先生宅で良くお話を聞きに行っていた。
③ポンプ組合で冬にポンプを使っても良いと許可があって3年ぐらいは岩澤先生の冬期湛水不耕起移植栽培法が実践できた。
雑草も出ない、収糧も約6〜7俵を3年間維持する。
さらに慣行農法を勉強した。
結局のところ
どこの馬の骨かもわからないやつが
〇〇農法だとか
〇〇使わないとか
〇〇肥料使わないとか
環境に良いことだとか
付加価値のある米だとか
言った所で何も変わらないし、誰も聞きやしない。
部落の人たちは
そこじゃなくて
● あなたが何者なのか!
● あなたが真剣に田んぼと向き合っているのか!
● あなたは田んぼのこと稲のことをちゃんと知っているのか!
このたった3つが知りたいだけだったのである。。。
その③へつづく
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