ひたすら待つ、ということ。 (あいスやさん やりたい②)
※①はこちら。
https://note.com/tanada/n/n4d50063c8a7d
■ピンクのクリアファイル
ついに、世田谷プレーパークに行く日が来た。
あーちゃん(いつまでも「娘」「長女」と書いていると、書きにくいので、これから「あーちゃん」とします)と、ひさしぶりに、2人で電車に乗る。
プレーパークの入っている、世田谷公園に到着。
あーちゃんが自分で書いた「あいスやさん やりたい宣言」、自分で描いた「あいスやさんイメージ図」。「プレゼン資料」一式が入ったピンクのクリアファイルを僕に託し、意気揚々と世田谷プレーパークに向かう、あーちゃん。足取りも軽い、スキップ、スキップ。僕は彼女の数歩あとを追いかけるようにして、同行した。
あ、あそこかな?
■背中を、どこまで、押したら、いいの?
おはなしを、とっても聞いてくれそうなスタッフのお兄さん、発見。さあ、あーちゃん、あのお兄さんに話しかけてみようか。パパも一緒に、行ってあげるから。
あーちゃん、動かず。はずかしいのかな?
どこまで背中を押したらよいものだろうか。しばし、考える。少なくとも、保護者がゴリゴリ行くのは絶対ちがう、という感触はあった。パークに問い合わせた際の電話でも言われていたこと。「すべてのリクエストは、子どもを通じてしか受け付けてない」すばらしい方針。
よく来てるっぽい子どもと、そのお母さん?彼らと会話が弾んでいる女性スタッフ。あーちゃん、女の人の方が話しかけやすい?
会話の終わりを、ベンチに座って待つことにした、あーちゃん。僕は、つかず離れずな感じで、プレーパークを散策することに。
■「企み」と「遊び」
目の前の会話が終わっても、一向に動きだす気配がない。
あーちゃんは、ちょっと、内弁慶っぽいところがある。「自分が弾けても許される環境なのか」に対してのハードル設定が、けっこう高い気がする。
ハードルを乗り越えたら、あーちゃん、達成感あるだろうなあ。
ふと、「引っ込み思案を直してあげよう」という「企み」全開な「パパの気持ち」を、僕は発見する。
なんか、違うのかもしれない。
ここは、「プレーパーク」だぞ。「遊び」の場だ。
目標を設定し、それをクリアする。それはとても大切な営みだけれど、そういった「企み」を学習する機会を、今ここでどうしても実現させる必要はあるのだろうか。目の前の豊かな「遊び」を放棄してまで「企み」を取る意味って、一体。
あーちゃんに、話しかける。
「遊ぼっか」
あーちゃんは、こっくりと、うなずいた。
■小高い丘を上る
あーちゃんは、地面に落ちていた枝を拾うと、突き抜けたように小高い丘を駈け上がっていく。
僕はのんびりと、彼女のあとを、ついていった。