Time is MoneyよりTime is Lifeかも

ふとした昼下がりにリモートワーク中に行われた会話

私「今日も全然時間ないやー。」
妻「Time is Moneyではなく、Time is Lifeだよ。」
私「なんだよー、それ。聞いたことないなー。」
妻「Twitterで流れてたんだよねー。」

なんとも脈絡のない会話ですねと言われてしまいそうではあるが、(私にとっては)心地良さがある。

さて、昼に話をした何気ない会話の中に残されたTime is Lifeという言葉。
その前にTime is Moneyの由来は何なのか?
Wikipediaではベンジャミン・フランクリンが著書の中で紹介した言葉であり
時間はお金と同等に大切なものであるから浪費することなく大切に使うことを説いている言葉として今も伝え続けられている。

時は金なりを肝に銘じなさい。労働によって1日に10シリングを稼ぐことができる人が、その日の半分を戸外に出たり無為に過ごしたりする場合、遊興や怠惰の間に6ペンスを支払ったとしても、実際にはそれだけではなく他に5シリングを使っているか捨てている

Wikipedia

仕事として誰かに仕えてお金をいただく限りにおいては、この教えは馴染みも深く、時間給で働いて学生時代なんかは惜しむことなくバイトに明け暮れていたことを思い出す。
今でも、自らの時間を差し出してお金をもらう感覚で過ごしている人も多かれ少なかれいるのだろうと想像するし、資本主義というお金が絶対的な力を保持している中で言えば、それも人生において必要なことと理解する。

一方で、Time is Lifeとは何なのか?
これについてまた得意のGoogleで調べみると、複数の個人ブログはあるもののWikipediaなど辞書的に一般化した言葉ではないようです。

では、ここから巡り合ったTime is Lifeについて考えていきたいと思います。

時は命なりは死生観なのか。

Time is Lifeの直訳は時は命なり。

確かに、私たちにとって時とは命の消費なのである。
何をしていても時間は命を消費している。
どんな嫌なことをしていても、何も考えずに過ごしていても、楽しいことをしていても、私たちは、刻一刻と命を消費している。
それだけは皆んな平等だ。

残量が分からない単三電池のように時間を少しずつ0に向かって減らしながら生き続けているのだろう。

そんなことを考えると、今、目の前にある時間へもっと敬意を示しながら、感謝しながら過ごしていかなければならないなと感じた今日だった。

Time is Money じゃなくてTime is Lifeだよ。

何かモノの見方が変わっていくような新しい物差しを手にしたような気がしている。
時間はお金じゃなくて命そのものだとしたら、時間をお金に換算する世の中もきっと見え方に違和感が湧いてきそうな予感がする。

では、今日はここまで!


サポートして頂いたら本当に励みになります。記事のシェア、サポートよろしくお願いします✨